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植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「留學の韓僧」
作者
雑誌名
『浄土敎報』
号数等
315
年月日
1898年2月15日
本文
今回白石岩井両視察使の歸朝と共に來りし大岸、在英、就賢の參名の韓僧は前號報告の如く宗學本校中に留學を命せられ其取扱主任としては向後幹事之を擔任し敎養主任としては専門科生吉水松井の両氏之に當たりて語學敎授中にて目下先宗乗を敎授するの準備をなしつゝありと云(以下略)
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記事題目
「留學の韓僧」
作者
雑誌名
『浄土敎報』
号数等
315
年月日
1898年2月15日
本文
今回白石岩井両視察使の歸朝と共に來りし大岸、在英、就賢の參名の韓僧は前號報告の如く宗學本校中に留學を命せられ其取扱主任としては向後幹事之を擔任し敎養主任としては専門科生吉水松井の両氏之に當たりて語學敎授中にて目下先宗乗を敎授するの準備をなしつゝありと云(以下略)