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記事題目

「真言の布敎派」

作者

在釜山 松原○南

雑誌名

『敎學報知』

号数等

年月日

1899年7月23日

本文

真言の布敎場 たる弘法大師の堂は後山の半腹に在り伊藤博文侯の書きし遍照金剛の四字額と參神管長の書きし一両所及の四字額を掲げ正面に大師の像を安置す派出の僧は見田政照、岩田照懸の二師にして此參間四面の堂は數年前からの目論見なりしが漸く昨年四千八百圓を費して新築し内一千圓丈け真言宗の本山京都東寺から下付し參千八百圓は居留民中の信徒の寄附に係りしものにして本年は四七の庫裏書院を建築する計畫なりと云ふ、信徒四百名ありと云も韓人は一人もなく、居留民信徒に対し月四回説敎を爲し年に六回施本を爲し經常費一ヶ月六拾圓餘を要し、内二拾圓宛は本山から下付するも餘は信徒の喜捨金を以て充てるなりと、此頃志賀僧正來釜信徒を集めて説敎を爲す餘も聴聞せいが希くは立宗開祖の本地垂迹以て日本の國體を合用し忠敎の至理を説かれし趣旨を體して僧正らしく布敎伝道がして欲敷ものてふ感を起したり、斯くの如く真言布敎は大谷派本願寺の初め釜山に開敎したるより後るゝこと二十餘年なり
日蓮宗の布敎(省略)信徒百名經常費參百圓以上、すべて信徒の喜捨金
浄土宗の布敎場 即ち知恩院別院なりとて目下新築中の八間四面の堂宇に庫裏等之に添へるものあり、出張の僧は參隅田持門師とて才子なり信徒は百名にして新築費八千圓餘を要し内五千二百圓は信徒の寄附にして千八百は浄土宗管長たる知恩院住職野上運海師より下付し尚不足の千圓は目下管長に下付を要請しつゝあるなりと、又た年々の經常費は六百圓を要し二百圓は管長の寄附になりて四百圓は信徒の弁ずる所又た此の宗旨が韓民敎化の仕事としては東京小石川なる浄土宗専門學院に就賢、在英、大岸と云ふ韓國梁山通慶寺の僧參名(年參百六十圓を支出し)を敎育しつゝある丈けにて宗内の有志で韓僧を小僧として育て居るもの四名位もあらんか、行く末は朝鮮内に七百餘もある寺院の韓僧を敎化する意氣込なりと、目下韓國内の派出員は京城に二名仁川に二名ありて參隅田師を合はせ五名なり斯くのごとくなれば浄土宗も東本願寺が開敎したる跡を廿餘年を經たる今日に襲ひ來たりし也(未完)

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