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植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「純粋鮮人のみの敎團」
作者
雑誌名
『中外日報』
号数等
年月日
1931年1月15日
本文
新都内に大派では大正十五年小學校を經営し金貞黙氏が主任になつて居た。こゝに鮮人に対する布敎場を開設され金氏が布敎主任となり昨春谷大専門部の留學を終へた黄滋淵氏が在勤して居る、開敎員も信徒も全部鮮人で純粋鮮人布敎としては各宗の未だ之を爲し得ざりし所である昨冬法主は七條五條両袈裟等を之に下付した。前記金、李両氏は一昨春本山で得度した。又鮮人のみの真宗會堂(見真婦人會)が京城の鮮人町にある、李と云ふ篤信婆さんがこれの中心である、要するに大派の開敎は各宗に先駆しただけに草分け時代の信徒の有力者を多く有する点に於て独特の強味がある。
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