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記事題目

「興亞兵站基地の 朝鮮を興せ 西本の基礎的運動」

作者

雑誌名

『中外日報』

号数等

年月日

1939年9月6日

本文

西本願寺朝鮮開敎敎務所が興亞兵站の基地朝鮮人敎化につき根本的にかつ畫期的な方法として全朝鮮に散在する各敎場の悉くに朝鮮人子弟を主體とする少年團を開設して明朗にして力強い運動を起す計畫を行ひその第一着手として先づ全朝鮮各地の敎場の各主任(或は次席參席開敎使)を招集して青少年團指導者を養成することになつた。西本願寺の朝鮮開敎は年は古いものであるが今回の如く組織的に青少年敎化の基礎的工作からはじめるのは全くこの半島敎化に一新世面を開拓するものとしてかつ「興亞兵站の基地たる半島敎化の最善の道だと信ずる」と開敎敎務所では岡部總長以下ハリキつて左のごとく「第一回朝鮮開敎区本願寺青少年指導者養成所」を開設する事に決定した。
△期日九月八日より十日まで△所、京城府郊外野営道場△人員八十名△講師講題は左の如くである。
全鮮興亞少年團の創設に就て、岡部開敎總長△時局の推移と國民の覺悟、朝鮮軍司令部報道部參謀△内外情勢概觀、松田定久氏△未定、林朝門氏△青少年團の創立と經営法、筒井保鋭氏△少年團實技、技術班制、小林正宣隊長、ゲーム唱歌、結索法、參明、竹島副長、各種記號、信號法、宮地中山指導員。

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