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記事題目

「西本願寺、朝鮮に於て活動せんとす」

作者

雑誌名

『中外日報』

号数等

年月日

1911年8月10日

本文

西本願寺朝鮮開敎總監大洲鉄也師は其任地に於ける敎況視察のため六月六日當地出發、同十日釜山着にて馬山、鎮海湾、統営、大邱、金泉、大田、龍山、平壌、定州、新義州、安東県、鎮南浦、沙和院を順次視察して再び龍山に歸り京城に入り仁川、永登浦の敎況を視察して七月十八日龍山出發歸國せられたるものなるが視察の結果現在の布敎所にて大に刷新すべきもの、又た新たに布敎所を起すべきもの少からざるよしにて開敎使の交迭も多少免れず
(各地の状況―要約)
沙和院・・・・毎月四五回市があり、毎月五萬人の内地人が日用品を購入するため集まる。前途有望の地であり、既に參ヶ所より敷地寄付の申込あり。
會衆?・・・・日本式本堂建築費3700圓を計上、本山500圓下付、他は土地の信徒の寄附。朝鮮某大官100圓寄附。
舊義州・・・・日本式本堂建築費2300圓を計上、本山200圓下付、他は全て朝鮮人の寄付
今年の開敎費は二萬圓にして二十個所、説敎所及支所に駐在する開敎使四十名、留學生八名あり、開敎使は現に布敎に従事し居るものにして留學生は將來朝鮮人布敎の専任たらしめんとて専ら朝鮮語を研究せしめつゝあるものなり。

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