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植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「韓人布敎」
作者
雑誌名
『明敎新誌』
号数等
年月日
1896年3月16日
本文
真宗大谷派本願寺にては去る明治十年の頃より釜山元山仁川京城の參港一城に別院支院を設置しあることは豫て人の知る所なるか當初の目的は韓人布敎を主として傍ら本邦居留人を敎導するの趣意にてありしも是迄は種々の事情に支へられて未だ其主なる目的を達するの場合に至らず荏苒今日に及びしが近來時機漸く至り先京城にて漢城學院なる者を設け松見得聞氏院長となり少年子弟を敎育するの傍ら其脳裏に漸次佛敎を注入せんとの見込にて近頃の事変やゝ平定するの期を待て速に開院する筈又仁川支院にては來る八日に韓人敎誨の發會式を行ひ同院の主務武田恵敎氏敎誨を司り自今毎月第二の土曜を以て定日となし漸次斯敎の拡張を謀るの見込なりと聞く
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