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記事題目

「韓國に於ける浄土宗」

作者

雑誌名

『中外日報』

号数等

年月日

1909年4月29日

本文

○開敎院(本部) 京城明治町浄土宗開敎院は參萬圓を費して新築したるものなるが、韓國皇室は宮内府を經て金二百圓の御寄附あり、伊藤統監よりも金二百圓を寄付せられ、其他京城浄土宗信徒は韓人五百、日人二百五十戸ありて何れも応分の寄附金をなし居れりと。
○京城韓人浄敎々會 韓人敎會の男子部は毎月二回舊暦十四、二十五両日午後より參集し、七八十名より百五六十名内外あり、韓人婦人部は毎月二回七、十八両日午後より五十名より八十名内外集會す、韓人青年部は毎土曜午後より二十人以上集りて熱心に説敎法話等を謹聴す、尚ほ別に韓人の講中先達と称するもの毎日十人斗りに二參時間づゝ敎會堂に來りて念佛を拝聴し居れり、それはナムアミダーブル或はナムアミターブと唱へて念佛するものなりと、他に韓人布敎は京城付近參ヶ所に辻堂を借つて説敎をなし來聴者卅人より五六十人ありて多くは韓人信徒の請待によるものなりと。
○京城日人敎會 毎日曜午前は少年敎會にて二十人より四十人迄の集り、毎日曜の夜は高年敎會にて二參十人より四五十名の集り、毎月二回午後一時より昼の會を開き曾つて五重、受戒を受けし者に特別布敎を爲す、尚ほ店員多き商家にて家族と共に家庭敎會を毎月開催するもの四戸、又陸軍衛戉監獄へは毎月第一水曜第參水曜午後より敎誨を爲す。
○龍山敎會所 は新築既に成りて四月十一日に入佛式を擧げたるが、軍用地を千二百坪借用して敎會所を建築したるものにて其費金千七百圓を要せり、同地は開敎以來日も尚浅きゆへ信徒少く日人二十戸の信者中毎土曜の夜に十二參人集り韓人五名の信者は臨時に集り居れり
○元山敎會 は市外の高等地に百六十餘坪の敷地を二千參百圓にて購求し七千圓の豫算(千八百圓は宗資)にて新築工事着手中にて信徒は日人六十、韓人十名に足らざる現状なり
○水原敎會 は既に新築落成を告げ之を水原寺と称す、建築資金參千五百圓地所五百八十坪(二百圓)、其他を加へ都合四千圓(内千圓宗資)を要したり、信徒は日人十五名、韓人參名なり。
○明進學校 梁山の通度寺山内に同校を設け韓僧等四十の生徒に日本語を授け開敎使一人にて其の敎授の任に當り居れるが、語學は韓人の特長として頗ぶる好成績の方なりと。
○○城學堂 韓人のみの生徒に収容し本科卅餘名(中學程度)、此四月より商業部を新設し矢張り韓人のみに敎授し居れるものなるが、敎師は日人二、別科として夜學部に生徒四十名あり、これらの爲めに松尾開敎使夫妻は昼夜熱心に敎授し居れるよし。
○海州學堂 の生徒は韓人廿、日人十五、敎師二にして之れは小學程度を以て敎授し居れり。
○大邱日語夜學校 生徒四十名、敎師日人二名、韓人參名。
○平壌夜學校 日語學舎生徒八十名、敎師日人二.
○開敎概況 韓國に在る日人は各宗派を通じて割合に山口県人が多數なり、故に浄土、真宗、曹洞の信徒多き方なり、浄土宗開敎地は各所にて廿箇なるが、其の敎役者は廿六人、内開敎使長一、開敎使十六、同副使五、事務補助員五、以上開敎使中に能く韓語を通ずるもの五、即ち近藤、松尾、生野、見山、大谷の五氏にて皆參年以上在留して語學を専攻せし方なり、開敎地としては京城、釜山、仁川、平壌、開城、馬山、群山、江原、鎮南浦、海州、水原、大邱、大田、新幕、新義、鬱陵島、金州、公州、元山、羅南の廿ヶ所にて毎年春期に一回づゝ京城の開敎院へ招集して開敎使會を開き敎學萬般のことを決議する規定なりと、尤も現開敎使長は下の關西谷寺々主にして將來の勧學たる現に講師の學位を有する學徳を兼ぬる方なりと。

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