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植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「韓國明新學校の近況」
作者
雑誌名
『浄土敎報』
号数等
890
年月日
1910年2月7日
本文
去月末の通信によれば梁山通度寺中の永田開敎師は餘程明新學校の整頓せしを感謝し居らるゝが一月一日には日本式の盛大なる新年會を開き韓民に日本趣味を普及せしめられ、校具としては黒板机腰掛參考書類等の敎具も完成し梁山第一の私立學校の隆盛なるは宗門の爲め祝賀すべきなり、幸ひかく生徒が未だ排日思想に感染せらるゝ事なきは結構なり、思ふに同氏が忍耐と努力は成蹟顯著ならずも將來多大の精神界産物あるべきならん、猶ほ副業たる蔚山布敎の出張あり、彼地海岸の藁小屋漁民を學校休暇の見舞ひ法縁を結ばれつゝありと
(以後、『浄土敎報』に明進學校の記事見當たらず。永田俊良の蔚山敎會所在任期間:明43.1―明45.5 『浄土宗開敎のあゆみ』による)
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