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記事題目

「韓國開敎区の近況」

作者

雑誌名

『浄土敎報』

号数等

476

年月日

1902年3月2日

本文

本宗にては去明治參十一年より韓國繁盛の地なる釜山に仁川に及ひ京城に敎會所を設置して韓國開敎に従事したりしか次て廣安開敎使長赴任せし已來更に韓人布敎を開始して大に敎線を拡張し信徒の歸入するもの倍多きを加へ京城内に於ては優に各宗間に重鎮を以て目せらるゝに至れり是か爲め多少朝野の疑惑を來たしたることありたれとも固より一時の揣摩臆測に過きさるゆへ本宗の開敎事業には何等の影響を受くるに至らざりき然るに韓國に於ては曩に韓僧入京の禁を解きしさへ異數なりしに而かも自ら京城に元興寺と云へる一宇を建立して布敎に従事せしめたり而して其敎會定日も本宗開敎院敎會日と同日となし暗に我か敎會を牽制せんとす風ある如くなるも廣安開敎使長を始め開敎使等熱心至實以て開敎に盡瘁せる故此等の反抗あるにも拘はらす愈隆盛にして敎會日の如きは會衆群衆して堂宇の狭隘を告くる程なりと云ふ今回韓國にては如何に感しけん有司に命を伝へて本宗の敎義及宗史の概要を記して提出すへしとありたるに付廣安開敎使長自から筆を執り浄土宗略史と題して第一本宗の敎義及稟承第二開宗及宗祖の敎化第參皇室御歸依第四豪族歸仰第五本宗制度第六本宗現状の六章に分ち其綱要を撮録したる一本を差出したりといふ

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