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植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「韓寺と東本願寺」
作者
雑誌名
『中外日報』
号数等
年月日
1907年2月13日
本文
韓國の寺院は由來其地方權勢家又は官吏のために寺領財産等を要領せらるゝこと少からざるが之が災厄を免れんため今回海印寺、通洞寺以下大寺のみ十七八ヶ寺合同の上東本願寺の保護を求め來りたる由なるが本願寺は直ちに統監府と協議の上其要求を容るゝことに決したり、而してその協約の内容とも云ふべきものは財産の所有權は住職にあるは云ふまでもなけねども、若し之を移動する場合には必ず保護者の承諾を求め、又其寺内に於て學校を設立し僧侶育英の道を開く時は敎師は東本願寺の僧侶を招聘し、旅費給與等一切其寺に於て負擔すべきことゝ云ふ定めなる由已に海印寺と通洞寺とには學校を開設し何れも七八十名の生徒在學し、奥村、藤堂の二師駐在敎鞭を執り居らるが、右十七八ヶ寺の保護は正式の証書を取替すべき都合也なりと云ふ。(2月25日付『浄土敎報』に同文の記事あり)
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