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植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「鮮人布敎開始」
作者
雑誌名
『敎海一瀾』
号数等
673
年月日
1922年7月20日
本文
釜山駐在の長尾布敎使は赴任當時より鮮人布敎の企圖ありしが、適當なる擔任講師の選定に就て荏苒今日に至りしも、幸に大邱監獄巌敎務主任の快諾を得て、客月第參日曜の公休日を卜し、釜山本昭寺に於て午前九時參十分より開會せり。長尾主任は參聴の鮮人一同を随へ會場に着席先づ勤行あり、次で巌講師は「真宗の宗敎より流るゝ心の平和」と題して鮮語講演を試みしに鮮人一般は有益なる講演として傾聴せり。此日の參聴者約參百五十名、鮮人に対する講演は各宗間數年前より懸案なれば、宗派以外の人士も多大の咸興と賛同を以て迎へ、釜山府庁及び警察に於ても直接に間接に援助あり千數百枚の宣伝ビラを配布し、元空社(學塾)玉村社長は當日日本語に通ずる鮮人學生參十名を派遣して會場の整理に充て、信徒岩崎氏は鮮語蓄音器を餘興に供する等多大なる援助を與へたり。今回は初めての試みなるに拘はらす豫想以上の好成績を収めたりと、巌講師も監獄の劇務を割きて出張し爾後毎月第參日曜日を以て開催に決せりと、
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