top of page

記事題目

「鮮僧敎育難」

作者

妙心寺京城出張所長文學士 後藤瑞巌

雑誌名

『中外日報』

号数等

年月日

1918年5月22日

本文

△朝鮮人布敎 の効果を真に擧げようとすれば、先づ第一に鮮僧の敎育をやらねばならぬ、如何程内地の僧侶が鮮地に往きて奮闘しても其の効果は鮮僧の活動に比すると劣るのである、そこで各宗共に自己の宗旨を鮮人に伝へて盛大を圖るならば完全なる鮮僧敎育の機關をつくるが何よりの捷径である。先達でも在京の砌に寺内伯にもおあひして語つたが、伯は「十分に鮮僧敎育をやつてみたらどうだ」といはれた。
△朝鮮と臨済宗とは最も密接の關係あるもので、朝鮮の寺院は臨済宗が一番に多い、そこで我が妙心寺派の如きは十分に資力を入れて、彼等鮮人に布敎の實績を擧ぐるべく努力すべき責任がある、然るに本山も經費多端の折柄さうはゆくまいが出來るだけ當局者も奮發して貰ひたと念じてゐる、近來は京城に於ても臨済禅が歓迎されて、他派からもよく講師の註文を受けることになつた。平安北道にある妙香山は有名なる四大本山の一であるが特別に本出張所との關係を結び出來るだけは盡力する考でやつてゐる。
△社會的事業 の方面にも吾々宗敎家が手を出して大にやるべきであらう。今の處では各宗共同の『行路病者収容所』が京城、平壌、登山、大邱等に於て着手されてゐるが、總督府の方でも府に命じて大抵はやつてゐるこれも大切だが、先づ差當り各宗共鮮僧敎育に全力を注ぎて然る後に大に活動せねばなるまい、特に我が臨済の如きは尚更のことである。

bottom of page