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記事題目

朝鮮通信「鮮人敎化の現状」

作者

雑誌名

『真宗』

号数等

昭和6年2月號

年月日

1931年2月

本文

朝鮮人敎化に關する論議は既に盡され今や實行期に迫られてゐる。在鮮佛敎徒は何宗何派を問はず敎化の實行方法に対しては云ひ知れぬ悩みをもつてゐる。今春我派の朝鮮開敎團總會の席上論議は熟し真摯に討議され、とにかく一進展を畫することに滿場一致可決した。時恰かも忠清南道論山郡新都内に十年の歴史を經、會員參千に及ぶ念佛主義を奉ずる同朋敎會(渓内監督時代に創設)は千餘坪の土地及び其の宏壮なる建物を擧けて本山に寄付申出で直接の指揮を願ひ出たので、早速その旨上申手續きをとることになつた。本山は茲に同朋敎會を根拠として新に新都内布敎所を開き従來指導の任に當つてゐた金貞黙に敎師を授け在勤を命じ且つ今春谷大専門部卒業の黄滋淵を派して金主任を補佐せしめることになつた。更らに論山布敎所在勤釜田義慶を新都内布敎所加談として直接の監督指揮の任に當らしめることになつて茲に新都内布敎所の陣容は整つた。これ實に吾派にとつて鮮人のみの信徒僧侶によつて出來た唯一の又最初の布敎所であるのみならず佛敎徒として内容組織共に備つたものとしては恐らく之が最初のものであると云つて差支へない。
監督部はこの最初の新都内布敎所に対して現在如何なる態度をもち方針を建てゝゐるかと云へば、第一鮮人布敎は鮮人の手によること、第二將來は一部落一布敎所の方針をもつてすゝむこと、第參此等の方針を實現せしむる爲めに新都内布敎所はその試作田なること、已上である。
鮮人布敎の實際については極めて困難が伴ふ。十餘年専心布敎してゐる金貞黙が其筋から全く注意を解かられたのは最近であつて此間數回拘留の憂目をみたといふことや、李朝五百年の佛敎迫害の習慣は今日尚男子の寺詣でが遠慮され寺僧蔑視の習風のあることや、偶々佛敎團體を組織せるものあればそれを喰物(?)にして私腹を肥やし社會運動の道具としやうとする等々鮮人布敎に際しては細心の注意と不抜の忍苦がなければ到底成績を収め了ることは困難である。黄赴任の際にも此点充分注意を加へ自重を望んでおいたわけだ。
黄は赴任已來付属小學校に敎鞭をとる傍ら金在勤を扶けて専心布敎に努力を払つてゐる。最近監督部に宛て報告して來た一節をぬいて其後の情報報告に代える。(栗田報)

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