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植民地朝鮮の日本人宗教者
本門法華宗布教管理者変更認可願之件㉖0223-0229
0223
本門法華宗布教管理者
変更認可願之件
指令案
東京市本郷区駒込浅嘉町
0224
本門法華宗々務庁
本門法華宗管長飯高日享
大正十五年五月三十一日附願本
門法華宗朝鮮布教管理者ヲ
御牧清勤ニ変更ノ件認可ス
年月日
朝鮮総督
0225
起案ノ理由
本件本門法華宗朝鮮布教管
理者変更認可願ハ前任者安田現素死亡ニ依リ後任者御牧清勤
ヲ同派管長ヨリ認可願出テタルモ
ノニテ別段ノ支障無之認可御指
令可然キモノト思料右起案仰
高裁候
0226
布教管理者認可御願
京城府本町五丁目四十六番地
本門法華宗朝鮮布教管理所
本門法華宗朝鮮布教管理者安田現素儀大正
十五年五月九日死亡候ニ付大講師御牧清勤ヲ後任
布教管理者ニ推挙仕リ候間御認可相成度願上候也
大正十五年五月三十一日
本門法華宗管長大僧正飯高日享
朝鮮総督府子爵斎藤実殿
0227
履歴書
京城府本町五丁目四拾六番地鶴松寺内
御牧清勤
明治弐拾壱年拾月一日生
族籍 京都府平民
原籍 京都府上京区御前通一条下ル下竪町一五八番地
得道 明治参拾四年三月十三日山梨県南部留郡小立村
常在寺ニ於テ得道ス
入寺 明治三十五年三月十五日遥拝入寺ス
改名 明治三十六年四月清勤ト改名ス(旧名弘一)
修学 明治二十七年四月京都市上京区仁和尋常小学
校ヘ入学同三十一年卒業ス
明治三十一年京都市立第四高等小学校へ入学
同三十五年東京私立東京中学校ヘ入学
同四十年東京中学校卒業
同年早稲田大学第三高等予科ヘ入学
同四十三年同科卒業
同年早稲田大学文学部史学科ヘ入学
同四十五年六月早稲田大学卒業
新説 明治四十二年十月大本山光長寺ニテ新説
0228
許容
檀功 大正二年八月二十五日集講師叙任
同五年一月二十三日補七等教師第三級
同七年五月五日補七等教師第二級
同十一年六月二十七日補七等第一級
教職 明治四十四年七月少講師拝命
同四十五年三月権中講師拝命
大正二年九月二十七日補権大講師
大正八年六月二十日補大講師
住職 明治四十四年八月八日本門法華宗中本寺京
都市上京区御前通一条下ル宥清寺ニ住職ス
大正二年兵庫県小多利説教所担任教師兼務
同三年四月大本山妙蓮寺本末常議員補任
同七年四月同常議員ニ再任
同十一年四月同常議員ニ再任
同十年任京都宥清寺派出説教所担任教師
大正九年一月十五日財団法人本門仏立財団監
事ニ就職
大正十一年四月本門仏立財団理事ニ就職
大正十一年本門仏立講祖日扇上人一代記編纂委
0229
員嘱託サル
大正十一年五月本門法華宗宗会議員ニ当
選就職ス
大正十年四月本門仏立教会常務副総理ニ補
任セラル
大正十四年七月京都府知事ヨリ京都府方面委員
嘱託サル
賞罰 無シ
右之通相違無之候也
大正十五年六月 日 右 御牧清勤 印
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