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植民地朝鮮の日本人宗教者
淵谷書院復設申請ノ件㉖0062~0069
最初公開日:2021年6月4日
最終更新日:2024年5月3日
0062
淵谷書院復設申請ノ件
学務局長
全羅南道知事宛
貴管下長興郡安良面白柄寅
0063
外八名ヨリ首題ノ件ニ関シ貴庁ヲ経
由セス別紙ノ通申請書差出候処淵
谷書院ニ享祀セラレタル閔鼎重其ノ弟
閔維重ハ孰レモ文廟従享人ニアラサルヲ
以テ今ヲ距ル五十六年前辛未ノ歳八月
ノ宣誥ニ依リ撤廃処分ヲ受ケタルモノ
ニテ之カヲ復設ヘ許スヘキ規定ナキニ依リ申
請ノ件ハスルコトハスルコトハ詮議不相成候問其ノ旨ヲ
懇示シ申請書下戻方御取計相
成度別紙相添此段申進候也
0064
理由
淵谷書院ハ今ヲ距ル二百二十九年前即
粛宗二十四年戊寅ノ歳ニ閔鼎重ヲ享
祀スル為ニ設立セルモノニテ其ノ后今ヲ距ル二百
十一年前即チ粛宗四十二年丙申ノ歳ニ其ノ
弟閔維重ヲ追享シ其ノ后今ヲ距ル二百
一年前即チ英祖二年丙午ノ歳ニ賜額
ノ沙汰アリタル所謂賜額書院ナレトモ
所享ノ両人即チ閔鼎重、閔維重ハ孰
レモ文廟従享人ニアラサルヲ以テ過ル辛
0065
未ノ歳三月撤廃処分ヲ受ケタルモノナリ
而シテ祠院ノ疂設及私設ハ今ヲ距ル六
十三年前甲子ノ歳八月厳ニ防禁ノ令
ヲ下シ爾来此ノ命令ノ禁止ヲ解除セルコトナキヲ
以テ本件ハ到底御詮議可相成道之
ナキモノニ候依テ本案(書面差戻ノ件)
ヲ具シ相伺候
0066
長興郡
大正十五年マテ続追
(元)二百二十九年
(享)二百〇一年
淵谷書院 粛宗二十四年戊寅建 元禄十一年(西一六九八年)
英祖一内午賜額 享保十一年(西一七二六年)
享祀二位アリ
左議政 文忠公 閔鼎重
領敦寧驪陽府院君△
大正十五年マテ続追
(享)二百十一年
△贈領議政 文貞公 閔維重(鼎重弟) 粛宗四十二年丙申 追享
享保元年(西一七一六年)
0067
文献備考二百十巻
大正十五年マテ(六十三年)
今上李太王元年(甲子)八月(日本元治元年)
祠院之畳設私設ハ厳ニ立(二)ツ防禁(一)ヲ 〇大典會通禮典
雑令所載
大正十五年マテ五十六年
今上李太王八年(辛未)三月(日本明治四年)
命文廟従享人外ノ書院、及畳設ノ書院ハ並(ミナ)為(二)毀撤(一)ヲ
0068
淵谷書院ノ創立及賜額年代
元禄十一年ヨリ大正十五年マテ―二百二十九年
(閔鼎重享祀ノ年)
享保元年ヨリ大正十五年マテ―二百十一年
(閔維重追享ノ年)
同 十一年ヨリ大正十五年マテ―二百〇一年
(淵谷書院ニ賜額ノ年)
0069
安良面 堂岩里2
夫山面 金藏里1 富春里1 基洞里1
長東面 萬年里2 龍谷里1
府東面 中山里1
計九人(書院復設願人ノ数)
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