神理教管長の布教保護請願書⑭0037-0042

0037

原籍広島県雙三郡吉舎村吉舎九十八番地平民

現住韓国京城明治町一丁目

権中講義 谷口茂一

右ハ本教宣揚ノ為メ渡韓現住地ニテ布教

並ニ執務開始致シ候ニ付可然御補護被

下成度此段奉願候也

追テ本教ノ趣旨ハ皇国ノ記紀二典ヲ言霊ニ

ヨリテ説明シ人類ヲシテ神ニ安セントセシムルト共ニ更ニ

国体ノ尊厳ヲ発揚シ皇上ハ宇内ノ皇上タルヲ

知ル処ニシテ尚其布教法則ニ至リテハ教規教

則ノ制定有之候ヘバ本人ヘ聞取被下度

明治三十九年四月二十八日

神理教管長佐野経彦

韓国統監府公爵伊藤博文殿

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建白書

誠恐誠惶頓頭再拝謹テ

韓国統監大勲位侯爵伊藤博文閣下

ニ建白ス

伏テ惟ミルニ我朝建国ノ基業ハ実ニ

天祖ノ

神勅ニ依テ立チ

天神地祇ノ威霊ニ依テ成レリ

抑モ

皇統ノ一系連綿トシテ天壌ト共ニ窮リ

ナク国体ノ鞏固ニシテ万古一日ノ如ク

ナル所以ノモノ豈其レ偶然ナランヤ

去歳征露ノ

皇師ヲ興サセ給ヒシヨリ以来海ニ陸ニ

連戦連勝未タニ旬ナラズシテ遂ニ交戦

ノ目的ヲ達スルニ至リシハ固ヨリ

天皇陛下ノ御威徳ト陸海軍人ノ忠勇

トニ因ルト雖モ彼ノ海陸幾多ノ戦闘

ニ於テ不可測ノ奇功ヲ収メシヲ見ルニ

実ニ天地

神明ノ祐助ニシテ人力ノ能クスル能ハザル

モノアリ顧ミテ之ヲ史籍ニ照スニ

神武天皇ノ東征

神功皇后ノ征韓ヲ始トシ其他

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神祇ノ威霊枚挙ニ遑アラズ是即チ

神国ノ

神国タル所以ニシテ最モ敬畏スベキ所ナ

リトス嗚呼彼朝鮮国ノ如キ我

天皇陛下ノ前古無比ノ盛挙ニ依リテ一

朝我ガ保護国トナリ幾万ノ蒼生茲ニ新ニ

隷属シテ

王臣トナレリ今之レカ施政ノ方針ニ至リテ

ハ賢明英断ナル

統監閣下素ヨリ其画策アルベシト雖モ

独リ風ヲ移シ俗ヲ変ヘ彼昔日ノ蛮俗

ヲ洗滌シテ真ニ保護国ノ良民タラシム

ベキハ其施政ノ始メニ於テ先ツ我ガ

神国ノ風儀ヲ開示シテ之ニ習ハシムルニア

リ蓋シ本朝古来

祭政其帰ヲ一ニシ上ハ

皇室ヨリ下ハ庶人ニ至ルマテ

神祇ニ敬事シテ上下一致億兆同心

以テ一種優美ノ風儀ヲ成セリ而シテ此風

儀ヲ以テ彼民ニ移サシムベキハ必ス先ツ彼

土形勝ノ地ヲ撰ミ

社殿ヲ創建シ

神祇ヲ鎮祭シ礼典ヲ秩テ以テ其帰向

スル所アルヲ知ラシムるニアリ況ンヤ韓

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国ハ大古

武速須佐男尊ノ経営シ給フ国土ニシテ

京都祇園ニ鎮座シ給フ官幣中社

八坂皇大神ハ彼土ヨリ遷座シ給ヘ又韓国

京城府近ニハ右神域地ノ如キ霊地アリト

聞ク真ニ果シテ然ラバ

神祇奉斎ノ基ヲ開キ以テ韓民招撫教

化育成ノ一端ニ資シ且ツ洽ク

敬神愛国ノ大義ヲ会得セシメタランニ

ハ知ラズ識ラズ

皇風ニ化シ百歳ノ後根底ノ深キ結合

ノ固キ恰モ内地ノ人民ト相比シテ忠義

ノ旨ヲ同フスルニ至ラン若如此クンバ国家

神明ニ報ズルノ道ヲ尽スノミニ止ラズ亦

統監閣下絶代ノ盛挙ヲシテ其

神社ト共ニ万世ニ赫々タラシムルニ足ラ

ン不肖某深ク彼ノ土ノ風教ニ就テ感ス

ル所アリ哀心惜ク事能ハズ敢テ以テ

建白ス希クハ御採納アラン事ヲ

誠恐誠惶頓首百拝

明治三十九年二月二十三日

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参考書

八坂史抜秒

素箋嗚尊其子五十猛神を師て新羅国に降

到リ曾尸茂梨の(韓語の牛頭)地に居す其国初君

無し神有りて檀木の下に降りますを国の人

立て君と為し檀君と称す

素箋嗚尊遂に国を開き給ひぬ国号を朝

鮮と云ふ

素箋嗚尊韓郷の島々金銀有り若吾児の

御さむ国に浮宝有らずは佳からがらととの

りたまひて乃松檜柀櫲樟を為し松と櫲

樟とを以て浮宝を為れ檜を以て瑞宮を成

れ柀を以て奥津弁戸の具を成れと教へて

木種を皆能く播かしめ給ひき

素箋嗚尊の子五十猛命大屋津姫命枛津

姫命凡て三神も能く木種を布ち紀伊国

に渡ります五十猛神は多くの樹種を持

返りまして遂に筑紫より始めて大八州の

国内に播いて青山成しき所以に有功神

と称奉るの候

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参考書

武速須佐男尊

高天原ニ在シマセル時ノ事ハ皇典ニ明ニシテ

識者ノ既ニ知ル所ナレバ茲ニ贅セズ偖テモ

大御神ノ神性タルヤ武烈殺伐ナルヲ以テ悪

王子武塔天神ノ名ヲ受ケサセ玉フト雖モ出雲

国ニ天降リ八岐ノ大蛇ヲ退治シ給ヒテ櫛稲

田媛ト八重垣ニテ契ヲ結ヒ給ヒテヨリ神性一

変シ専ラ経国済民ノ神法ヲ施シ諸禍神ノ

作セル禍事ヲ壌ヒ蒼生ノ疫苦ヲ救ヒ又韓国

ニ渡御シテ檀木ノ下ニ天降リテ民ニ稼稲ノ道

ヲ教ヘ国ヲ開キ法式ヲ建給フ故ニ彼国ニ於テ

檀君ト称シ奉リテ連綿崇敬奉斎セリト亦

曾尸茂梨(韓語ノ牛頭)ニ座セシ故ニ牛頭天王ト

称シ奉ル其他支那印度異国ノ南海北海迠

モ巡リテ彼レヲ治メ之ヲ鎮メ奇シク妙ナル事

ハ是亦古書ニ著明ナルヲ以テ之ヲ詳記セズ