植民地朝鮮の日本人宗教者
渡瀬常吉
日本組合基督教会布教者
京城学堂長⑩85
1910年4月1日海老名弾上と共に京城到着Ⅱ-➁1135
朝鮮伝道主任、1911年6月から伝道開始、熊本八代に生まれ、大江義塾で徳富蘇峰に学び、熊本英学校教師となり校長海老名の感化を受け、本郷教会伝道師、『基督教新聞』編集者を経て、1899年、大隈重信が会長で、押川方義、本多庸一らが1896年ソウルに設立した、大日本海外教育会の京城学堂長となり、1907年から神戸協会牧師、組合教会理事、ソウルに漢陽教会、平壌に箕城教会設立⑩93
1911年9月13日届け⑬315-1
1911年9月18日教会堂(京城府中部磚洞一一統一戸)設置届け⑬326-2
1916年2月22日現在布教管理者⑬1067-5
1922年1月28日朝鮮布教管理者、長谷川直吉に変更(京城府南米倉町)⑬2894-7、㊿0240
1923年10月19日朝鮮会衆基督教会財団法人設立願㊿0101
渡瀬常吉
日本組合基督教会布教者
京城学堂長⑩85
1910年4月1日海老名弾上と共に京城到着Ⅱ-➁1135
朝鮮伝道主任、1911年6月から伝道開始、熊本八代に生まれ、大江義塾で徳富蘇峰に学び、熊本英学校教師となり校長海老名の感化を受け、本郷教会伝道師、『基督教新聞』編集者を経て、1899年、大隈重信が会長で、押川方義、本多庸一らが1896年ソウルに設立した、大日本海外教育会の京城学堂長となり、1907年から神戸協会牧師、組合教会理事、ソウルに漢陽教会、平壌に箕城教会設立⑩93
1911年9月13日届け⑬315-1
1911年9月18日教会堂(京城府中部磚洞一一統一戸)設置届け⑬326-2
1916年2月22日現在布教管理者⑬1067-5
1922年1月28日朝鮮布教管理者、長谷川直吉に変更(京城府南米倉町)⑬2894-7、㊿0240
1923年10月19日朝鮮会衆基督教会財団法人設立願㊿0101