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植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「京城に於て佛敎的寄宿舎を起すべし」
作者
雑誌名
『中外日報』
号数等
年月日
1909年5月25日
本文
韓國に於ける基督敎が斯くも盛大に、斯くも勢力を得るに至つたる所以のものは一に排日熱の機會に投じたると、一は學校の實を擧げたるに由らずんばあらず。(中略)布敎の手段として學校敎育が其の偉大なる力あること斯くの如し。吾佛敎徒も亦た初めは爰に着眼し、殊とに大谷派の如きは何地も開敎の第一着としては、必らず學校を興こしたるものなり、去れば釜山、元山、仁川、京城等、今や數千の児童を収容する廣大なる學校も、其の沿革史の一パージには何れも本願寺の名の顯はれざるはなし、已來韓國に於ける吾邦民は年と倶に益々膨張し發展し、随つて學校も小學時代を經過し已に中學の必要を感じ、京城には昨年度に於て高等女學校を興こし、本年度に於て中學校を立つるに至れり、去れど地方に在る居留民は其小學校は普く設置せられて更に遺憾なしといへども、小學を卒へて更に中學の學校を修めしめんとするには勢ひ本國に歸へらしむるか、若しくは京城に送くるの二途に出でざるを得ず、(中略)京城に於て佛敎的寄宿舎の創立あらんことを最も切望に堪へず、個は男女とも同じく必要なれども、豫は先づ女子寄宿舎より興さんことを希ふ者なり。
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