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植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「京城出張所の建築」
作者
雑誌名
『敎海一瀾』
号数等
521
年月日
1912年9月1日
本文
本派本願寺京城出張所は、本年參月永樂町に移転せし以來、漸次に發展して、現時の本堂にては狭隘を感ずるに至りたれば、愈本堂建築の計畫あり、先般總代會を開きて道路開通、本堂建築等の件を議したるが、市区改正迄は位置及び方向等確定し難きより永久的の建築は追つての事とし、愁眉の急に応ずる爲に數千圓を投じ、仮本堂建築に決し、開敎總監部より配置圖竝に設計仕様書を提出したれば、本山に於ても直に許可せり、而して建築費用は總代世話係一般信徒有志の喜捨金にて十分なりと云ふ
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