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記事題目

「京城別院内の韓人會・南山學校」

作者

雑誌名

『中外日報』

号数等

年月日

1905年4月8日

本文

○京城別院内の韓人會 京城大谷派別院所属の韓人を以て成立せる同會は昨年春頃までは其會員數千人内外の少數なりしにも拘らず今日は四千餘人の多數を得るの盛況に至れり、會費毎月一人前五銭づゝにして之に附属せる役員十八名は毎日別院に詰切りて事務を取り居れり、殊に同會に取て栄誉とせるは先頃井波輪番か皇帝陛下に謁見を許されたる際、井波氏は陛下に向つて特に韓人會の爲に○か役員を陛下の内命を依て任命あり度旨を奏したるに、皇帝には韓人會の方針と組織とに賛同せられ特別の御思召を以て井波輪番の願意を聴許されたりと云ふ、位階を貴み貴族風を歓迎する韓人のことゝて、皇帝の御内助ありとの説を耳にするや何れも大に喜ひ居れば同會は今後非常なる發達を見るに至るべしと云ふ。
○南山學校 京城大谷派別院内に設立しある同校は昨年六月十參日の開校にして生徒十六名を入學せしめ居れり、學科は高等小學校程度にして井波氏敎授し居れり、猶同校は京城別院事務室の一隅を使用し居るものにて最初十六名の生徒を収用したる儘敎室の狭隘なるため多數入學志望者あるも拠なく斷り居れる状態なり、何れ近き將來には大拡張を爲し大に此道の發達を計らるべしと云ふ。

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