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植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「京城洞宗の發展」
作者
雑誌名
『中外日報』
号数等
年月日
1912年5月12日
本文
朝鮮京城に於ける曹洞宗は監理北野元峰師在りて朝鮮全體の布敎を監督せらるゝ出張所と、外に明治參十九年の頃單身朝鮮に赴き宗門の力を仮らずして布敎し、檀信徒を作れる大隆大定師も日韓寺とあるが日鮮寺は基礎既に成り堂宇を有し居れども出張所は朝鮮家屋を借り居る有様にて日韓寺に及ばず、然るに同じ京城に於て將來両立せんよりも此際合併して一の別院組織となさんとの議起り、客月東京より弘津説參師等が京城に赴きしも此の要件を兼ね居りし由にて多分相談纏まるべく、若し併合の上は別院となし朝鮮に於ける布敎の根本道場となし、發展を講ずる計畫なりと、因に北野老師は官吏軍人會社員等に対し夫々出張して提唱講話を爲して居らるゝが最近李王家の侍従職の請に依り提唱を開始せられしと云ふ。
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