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記事題目

「何故に朝鮮を攪乱するか」

作者

真宗中學々長 河崎顯了

雑誌名

『中外日報』

号数等

年月日

1919年5月7日

本文

朝鮮に於ける今回の暴動は世間周知の如く、全く基督敎と天道敎の煽動であつて、幾ら基督敎側で弁護しても事實がこれを証明してゐるから、實地に於て強弁することは絶対不可能である、而してその罪何れを重しと爲すかと云ふと、矢張りこれを基督敎に歸せねばならぬ、而かもその原因が日本佛敎徒に対する敵愾心から起つて居ると云ふ事を聞いては、我等佛敎徒たるもの豈戦慄せざるを得ぬではないか。
日本佛敎徒に対する敵愾心とは何ぞや、そは日韓併合前に於ける鮮人が朝鮮政府の悪政に虐げられてゐた當時、外敎宣敎所が治外法權で以て彼等を擁護するに最も便利な位置に居たので信者になるとさへ云へばこれをかくまつた、そこで鮮人の多くはこゝを唯一の避難所とした、その俄信者の數は實に七十萬の多きに達し、鮮人信仰の最高目標に置かれたのも無理からぬ事である、が然し彼等は元々信仰から入つた者ではなくて當座凌ぎの人權擁護から抱き込まれたのであるから日鮮併合となつて恐怖の念が漸く薄らぐと同時に基督敎を捨てゝ顧みぬ者が多くなり、佛敎徒の開敎が年を遂ふて隆盛となるや、彼等は段々と佛敎に親善して來たのである、爲に鮮人の基敎徒と称すべきものは實際六滿を降ると謂はれてゐる。そこで基督敎徒は鮮人の信用を恢復せんとして鵜の目鷹の目で睨んでゐた、然るに朝鮮は日本統治の下に日をおふて非常なる發達を遂げつゝある。此時に當つて彼等は日鮮の間を割いて独立を奨励否寧ろ激励したのである、(中略)
兎に角朝鮮の攪乱者は基督敎であることは在住者一般の疑を容れない處である、朝鮮統治の任にある者は勿論朝鮮開發に志ある者は後日の參考に最も詳密公正なる調査をとげて置かねばならぬことゝ思つた、朝鮮に於ける基督敎徒は斯くの如く我日本にとつて最も恐るべき危険思想を含んで居ることを今回の暴擧に依て自ら遺憾なく物語つてゐる。(了)

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