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記事題目

「内地佛敎は永遠の大策として朝鮮の居士佛敎を作振せよ 留學生のギヤツプ解決法として」

作者

雑誌名

『中外日報』

号数等

年月日

1926年4月16日

本文

過般朝鮮佛敎團から内地に送つた留學生が妙なギヤツプに苦しめられて戻る事實がある。之は往年基督敎にあつた事情と類似するものがるといはれてゐる、即ち日本人が基督敎徒となり英米に留學させて貰つて一先づ學業の終つた後は敎界に対して知らぬ顔の半兵衛を極める者や甚だしきに至つては英語を學ぶためにクリスチアンになる所謂「サンデークリスチアン」といふ特称まで生ましめた風の二の舞が右朝鮮留學生によつて演ぜられはせぬかと杞憂せられる点が一二生じて來た、然しこれは日本人の「サンデークリスチアン」程度の悪とい考へからではなく朝鮮の風俗習慣を考慮すれば無理からぬ点が多いので内地の各宗は勿論朝鮮佛敎團たるものはその点を親切に考慮する必要が生じた訳である。
即ち朝鮮に於いては李朝五百年の佛敎圧迫と儒敎の大勢力が不知不智の間に佛敎僧侶を賤民化し佛敎僧侶を所謂白丁の階級に近きものとなし極く最近故寺内總督前までは京城に歩を入れることさへ禁ぜられ益々山林佛敎として振はぬものとなつた位である。かうした事情にある朝鮮學生を内地に送つて來たのだから各宗では折角の事であるからとの親切心から特別に密敎系統のやうな宗派は勿論自分の弟子にして導いてやるといふ事になつて真宗系統の宗派でも亦未開の地の第一線に立つべき人なるが故にといふ点から親切に取扱ふとの反対に彼等留學生は故郷の風習から僧侶になることを罪悪と考へ僧侶になつては父兄親族郷党に見えることが出來ぬとなし僧侶にならなければならぬとしたら留學を思ひ切つて歸鮮すると正直に告白する者もあつて一応無理からぬ点が多いので、その点なども考へる必要から佛聯及各關聯宗派では來る十九日そのことについて協議することになつた。
要するにこれは強いて各宗共僧侶にすることがしばらく自重して俗人として即ち居士佛敎徒として佛敎未開の第一線に立つ人々を養成する意味で留學生を遇することが最も當を得たことであり且つ彼等朝鮮學生に対する公明な内地佛敎徒の心○であり現下の事情ではさうした居士佛敎作振が最も適當と思ふと某氏は語つた。

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