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植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「反日團體にをびやかされる 佛敎朝鮮敎會 斷乎として内鮮融和に邁進」
作者
雑誌名
『中外日報』
号数等
年月日
1927年5月31日
本文
佛敎精神に立脚して内鮮融和に活躍してゐる佛敎朝鮮敎會の經営する寄宿舎女子同朋園の女子學生二名が投身自殺をとげたことは耳新しいことであり其屍體は未だ發見されず或は水流の關係上永久に發見困難であらうと云はれてゐるが、此事件發生により日頃より同協會の運動に反対の立場にある十數の反親日團體は參々五々代表者を同協會に向けて「何故内地人との結婚を強いたか」等の流説に根拠を置いた追及より始めて「内鮮融和運動をやめよ」とをびやかし同協會幹部鮮人金詠補氏の如きついて撲傷を受けるに至り一方女子同朋園にも脅迫の手はのびて寄宿生激減の現状である、右について主事横井誠応氏を訪へば
「男子同朋園の方に深い理解からの堅い團結であるから彼等に一指をも染めさせぬが女性はよわいからどうしても仕方がない。參人を死に至らしめた事は例へ如何なる原因にせよ佛敎の慈悲を完全につたへ得なかつた自分等のすまなく思ふ所である、今後は益々合唱して同朋愛の徹底に邁進する」云々。
と參人を死に至らしめた心痛をかくし得ず語つてゐた。
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