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植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「各宗當局等に呼びかけ 鮮人敎化團體の結成を促す まづ敎化道場の建設計畫 東亜佛敎協和會が」
作者
雑誌名
『中外日報』
号数等
年月日
1936年8月21日
本文
内鮮融和のために、殊に佛敎精神による鮮人敎化の必要はかねてから力説されては來たが、未だこれといふ目星しい成果があげられた事實を聞かない。
宇垣朝鮮總督の所謂“心田開發”のモットーの如きは可也敎界を刺激したものの宗敎家をして敢然蹶起せしめるまでには至らなかつた、それらには幾多の原因があらうが、盟邦滿州國へと敎化の触手が先んじられたなどは先づ以て大きな事實であり、ために右の鮮人敎化は慈善等閑視され、斯種目的のめに昭和七年創立された東亜佛敎協和會なども多分に取り残された憐みがあつた、然し今や内地在住の朝鮮同胞は優に五十萬人を突破しその内訳は大阪に廿萬人、東京に六萬人、名古屋に五萬人、京都、福岡等に各二萬人といふ概算ながら非常な盛況を呈するに至り、先づ以つてこれら内地在住の彼等の敎化が愈々敎家の急務として痛感されて來たので今回東亜佛敎協和會が先達となり、各宗當局その他有力者に呼びかけて各個に積極的な鮮人敎化の團體の結成を促し、先づ東京を初めとして敎化道場の建設を企畫する事になつた、同會副總裁たる安達○藏氏等もこれには非常な熱意を持ち同會副會長李元錫氏が着々奔走を開始してゐるが、佛敎の内地鮮人敎化道場が未だ皆無なるに比し基督敎の朝鮮會館及敎會の數は現在東京十參、横浜參、大阪十五、京都參、名古屋五、神戸五、和歌山一といふ多數に上つてをりこれらに鑑みても右の佛敎道場建設は至極當然緊要であると極力主張されてゐる。
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