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植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「國際争議と布敎」
作者
青松稿
雑誌名
『日宗新報』
号数等
619・621
年月日
1896年12月28日
1897年1月18日
本文
我國に於いては明治十九年十一月十五日此條約(ヂュネーブ條約)に加入せることを勅令を以て公布せらる今チュネーブ追加條款第七條以下を見るに・・・・・・敵軍に陥りし宗敎家は或る場合には敵軍に留置せらるゝことある上述の如きなれとも此者たる元より國際公法上中立者と見做さるゝ者なれは敵軍は之を使役すること能はさるにみならす・・・・國際公法か如何に宗敎家を保護するやを察知すへきなり
以上餘輩か記述せし如く國際争議の起るに當り敵地に入りて布敎するは時機の宜しきと國際公法の充分なる保護とに依り亦考得へからさるの好機なり宜なるか哉我國各宗佛敎家は各數員を派遣して其布敎に従事し亦政府は布敎者に対して相當の保護を與へたることを然りと雖餘輩窃に愁ふる所のものは其布敎の事業今日に至りては日清争議の當時に比して較々衰へたるものあるを・・・・争議既に平和に歸すと雖も敗衂の清國民か敵愾心の勃發せるは争議中と異なることなし・・・・宗敎家は宜しく立正安國の妙旨を悟了せしめ巧みに精神的の修美を爲さしめ以て我皇化に被霑せいめは唯々宗敎の本旨に適ふのみならず同島經綸の上に於て亦重大なる奉公偉績に非すや亦況んや更に進んて善隣國たる支那朝鮮の人民に布敎し彼輩をして圓滿なる妙理を得せしめんこと宗敎の本分なるに於てをや
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