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植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「大派が開拓する 朝鮮布敎 開敎監督部の計畫」
作者
雑誌名
『中外日報』
号数等
年月日
1931年3月10日
本文
大谷派朝鮮開敎監督部では栗田監督が中心となつて各宗派がこれまで手を焼いてゐた鮮人布敎の開拓に従事することになつた大谷派では屢報の如く既に新都内に鮮人の金氏を主任として去春谷大専門部を卒業した黄慈淵氏が熱心に鮮人のみの布敎に従事して居り相當な成績を擧げて居るが、更に今春谷大専門部を卒業する朝鮮人留學生高忠業氏を抜擢して鮮人布敎に當らしむることに略々決定して居る模様である。
監督部の今後の方針としては新進氣鋭の鮮人敎化幹部を形づくりこれを未拓の野に於ける耕作者として漸次開拓に着手して行く意嚮で鮮人布敎開拓に關しては監督部の多年の懸案であるがその方法は極めて至難とされこれまで具體的な進出を見ることが出來なかつたものであるが栗田監督は是非氏自身の在職中に一大事業として何處までもやり遂げたいといふ非常な決意を有してゐるらしく、目下生涯を鮮人布敎の爲めに献身すると云ふが如き真面目な人材を内鮮に亘つて物色中である。
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