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植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「大派朝鮮の新開敎線 鮮人のみの敎會と滿浦線への敎線拡張」
作者
雑誌名
『中外日報』
号数等
年月日
1935年2月17日
本文
大谷派朝鮮開敎線上に新たに躍進する二つのニュース―
【A】朝鮮同胞信徒の熱い要望によつて生まれた鮮人敎化中心の大東山布敎出張所の設立で大田布敎所の間下法宙開敎使が今後この新敎線の開拓と發展に努力することになつて居り來る十九、二十の両日盛大な入佛法要が鮮人信徒歓喜の裡に営まれるこの法要は先づ二發の煙火を合圖に本尊は宿舎たる鮮南倉庫會社長姜藩氏宅を出發、幼稚園及び普通學校生徒の引綱により本町通を出張所に到着、それより法要に入る事になつて居り知事の訓話もあるはずであるが、具體的なことは近く鮮人幹部の集會に於て決定することになつてゐる。
【B】滿浦線に沿ふ一要地である江界に新布敎所を設立することで同地は平壌より滿浦鎮を經て滿洲本土に通ずる最短鉄道たる同線の完成の暁には最も有望視される土地で大谷派が他宗派に率先してこれが開敎に着手したのは平壌布敎所の稲浦開敎使の意見に基くもので同開敎使は目下開設掛として活動中である
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