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記事題目

「大派鮮人敎化」

作者

雑誌名

『中外日報』

号数等

年月日

1919年9月6日

本文

大谷派本願寺にては今年より五名づゝの鮮人留學生を真宗中學に収容し中學卒業後二ヶ年間は京城本願寺に於いて声明、勤式其他僧侶になるべき一般敎育を施し、全く學業を終へたらば各自鮮人部落に歸らしめて専心鮮人敎化に勉めしむることゝすべく内定し着々その準備を急ぎ居ることなるが總督府の斡旋に依つて募集し得たる留學生五名の内、參名までは検査に際し種々故障を生じて不合格となり、二名來京したるもその内の一名が病氣して歸國し金圭東一人のみ完全に合格し來十一日の新學期より入學することゝなりし由、十月生、本年十七歳なり、朝鮮の普通學校を卒業したるものにて日本語も巧みにて前途有望の青年なりと、彼の朝鮮紛擾事件發生以來學生の頭脳が皆変り殊にこの種の學生募集に不良少年が澤山舞ひ込み來るを以てウツカリするとヒドイ目に逢ふことありきと。

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