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植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「大谷派の當路者に望む所あり」
作者
在朝鮮釜山 門外漫生
雑誌名
『明敎新誌』
号数等
年月日
1891年3月10日
本文
近來朝鮮各港に於ける大谷派布敎師の評判甚だ面白からず先づ仁川港に就ひて之を見るに布敎師甲乙の間意見常に合はず即ち甲は乙を拝し乙は甲を斥け殆んど氷炭相容れざるの觀ありて遂に甲は之を本山に訴へ乙は又党を引き領事館に云々するに至る然り而して乙なるものゝ云ふ所を見れば醜行敗徳甲の如きものにして任に幼稚生徒の敎育に當らしむるが如きは決して策の得たるものにあらすといふに在るが如し蓋し仁川の布敎師は本務の傍ら居留者の敎育をも司どればなり
當港(釜山)に至れば布敎々育各々別にして宗敎の如きも特り真宗に止まらず日蓮宗あり基督敎ありて各々鋭意に其宗門を弘めん事を勤めり然るに大谷派布敎師は手段卑劣にして常に甘言を以て老爺老媼を導き而して汲々として我が才學の乏しきを覆ふはん事に汲々とせり此故に中流以上の者に至りては敢て悪意を大谷派に介せざるも布敎師其人を指弾するの傾あり但し日蓮宗竝に基督敎の事は今暫く擱く
右の如く各港とも其評判甚だ面白からず漫生は實に大谷派の爲に之を悲む想ふに大谷派敢て人なきにあらざるべし切に望む當路者閣下自今敎を海外に宣伝せんと欲し玉はゞ須らく必ず深く其人を撰び給はん事を今や居留民の中流以上は既に之を踈んじて喜ばず此風にして一朝下流に伝染するに至らんか折角莫大の費を抛ちて經営したる朝鮮布敎の至善事業も遂に漸く衰頽するに至らん豈悲しからずや
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