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植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「大谷派朝鮮開敎監督部の活躍」
作者
雑誌名
『中外日報』
号数等
年月日
1937年8月21日
本文
大谷派朝鮮開敎監督部では事変の重大性に鑑み監督部内に北支事変奨義局を設置、事務、企畫、訪問、情報の四部を設け奨義事務の統制強化をはかり目下皇軍家族及び戦死者遺族慰問に全力を傾注しつゝあり、過般従軍布敎使として平壌布敎所主任千部良和氏を大津に派遣した、又京城別院で丸山中佐以下十參將士の追悼大法要を十五日午後一時半より同別院に於て遺族竝びに官民多數參列の下に在京開敎使はもとより朝鮮僧侶養成所生徒も出仕、厳かに擧行し式後北山大尉の「北支○戦より歸りて」と題する時局講演を聴いた、なほ同院では、時局ニュース映畫會、御稜威會を聯日開催、慰問袋郵送等に多量になつてゐる。
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