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植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「妙心派の朝鮮開敎問題」
作者
雑誌名
『中外日報』
号数等
年月日
1910年12月6日
本文
五日より開會の妙心寺派の議會に於て朝鮮開敎の問題は時節柄八釜敷議論せらるるならんが之れに就き一議員は語る、従來の朝鮮布敎は内地人の布敎にして夫れも極めて少部分に止りて觀光的布敎に過ぎざりし、今後は積極的に開敎するの策を講せざるべからず、近時曹洞宗には大に朝鮮に意を致し彼の地の圓宗を扶翼啓發するに努めつゝあるが抑も朝鮮の圓宗なるものは臨済禅の系統に属するを以て曹洞より我が臨済に親しきは勿論なり、今日彼が曹洞に親める所以は我邦に臨済の正統○存せることを充分知らざると且つ曹洞が日本の禅を代表せる大宗敎を以て標榜し彼れをして頼らしめんとなせるが故に両者の提携を見る次第なれど我が臨済あることを示し、其の淵派系統と同じき事を以てせば有力なる同胞に邂逅せるが如き感を懐くを疑はず、此点に於ても我派朝鮮開敎の前途は洵に有望なり、而して開敎の發展を圖らんには先づ貫目ある人物を彼地の重鎮に据え其下に布敎者を活動せしむる事必要なり、釈宗演老師又は興津清見寺の阪上老師の如きを得ば好都合ならん、宗演師は内地に於て種々の關係もあれば事情或は許さゞるやも知らざれども阪上老師は老後の思出に單独にて支那巡錫を試みんとの意志ある程なれば或は懇請さるゝやも知れずと云ふ。
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