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記事題目

「妙心派の計畫せる朝鮮卅本山歸属失敗 海印寺李晦光の暗中飛躍」

作者

雑誌名

『中外日報』

号数等

年月日

1920年10月7日

本文

臨済 妙心寺派の朝鮮布敎監文學士後藤瑞巌氏と朝鮮參十本山の随一なる海印寺本山住職李晦光氏等と策謀して朝鮮參十本山は我が臨済禅と系統を同じうし朝鮮佛敎をして内地の佛敎より孤立せしむる現状は朝鮮佛敎の活動を敏活ならしむる所以にあらざれば内鮮佛敎の聯絡上、參十本山を臨済宗の古派として我妙心寺派本山に於て統轄せんとの計畫を起こし、總督府に於て宗敎課を新設せられし
機會 を以て妙心寺本山署名にて總督府に請願し、當局に於ても之に同意を與へん傾ありしが、總督府の内外に於て従來總督府の方針として朝鮮佛敎寺院をして内地の佛敎の管理の下に置き内地の宗派をして朝鮮寺院に直接關係せしむるを不可とし、従前の弊を認め之を廊清すべく寺内總監時代に朝鮮寺刹令を發布し両者の關係を明かにし爾來此方針を以て進みつゝあるに今更ら總督府の方針を変更
逆転 するの必要なし、妙心寺本山と海印寺等と通謀して斯かる計畫を起こせるは總督府の方針を裏切るものなりとの非難盛に起り、殊に海印寺以外の他の朝鮮各本山には斯かる計畫に與からず、海印寺の李晦光氏一派が各本山に譲らずして勝手に參十本山の名を濫用したるものなりと憤慨し、各山より李晦光氏に向つて責任を負ひ住職隠退の勧告運動となり、總督府に於ても警戒を加へし結果、遂に參十本山の妙心派歸属計畫は
失敗 に歸し、李晦光氏は向後社會事業の爲めに盡力すべきを誓ひしとかにて聯合各本山の排斥を緩和し、海印寺住職に居据はることゝなり、表面は鎮静に歸せし状態の由なるが、李晦光氏が妙心派の後藤布敎監を動かして右の計畫を起こせし動機に就ては參十本山聯合本部の幹部を今春改選の際、通度寺本山金九河氏の當選に依りて自ら落選せしを以て策士肌を發揮し參十本山に対する自己將來の
立場を造らん野心より出發したるものにて、李氏と他の本山住職との間に平素より權力争奪行はれ居りしと云ふ。

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