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記事題目

「振はない各宗派の事業と超宗派的團體の活躍(朝鮮地方視察記(五)」

作者

藤波大圓

雑誌名

『真宗』

号数等

311

年月日

1927年9月

本文

超宗派的運動の立物朝鮮佛敎團
更に朝鮮における超宗派的運動であるが殊に最初から鮮人を対象として彼等の社會浄化に精進する佛敎の有力な團體として財團法人朝鮮佛敎團の存在することである。朝鮮佛敎團は京城の實業家(參重県津市出身)小林源六の寄附行爲に依つて大正九年に創立されたものである。小林氏は當時十萬圓の私財を投じ次で大正十五年に更に十萬圓を寄付し年々其事業は拡充し現在朝鮮に於けるこの種の私設團體として官民各方面から多大の期待と尊敬を受けて居る。今同團の大正十五年度に於ける事業の一斑を抄録し、くだへしい紹介に代へる。
(1)講演會の開催 
イ、定期講演、毎月參回同團會館に於て鮮人僧侶をして鮮人に対し佛敎講演をさせる。 
ロ、特別講演、知名士による臨時の特別講演。經費五百參拾八圓
(2)講演會の開催 鮮人僧侶中適當なる者を各地より京城に招集して佛敎及社會事業の講演會を開く。(毎年の行事) 經費七百七拾參圓
(3)佛敎講座 佛敎研究者の爲に毎月二回。經費百七拾圓
(4)敎化事業 
イ、敎務顧問巡鍚。内地の有力者にして同團の敎務顧問となれる人、十五年度は大西良慶氏が巡回した。
ロ、巡回布敎。内鮮僧侶中より選抜して各支部所在地を巡回布敎する。
ハ、活動写真。
ニ、佛敎宣伝。
 1 御絵像頒布。一萬部を印刷
 2 經典の頒布。經典の一説を鮮文に解釈布衍し小冊子として各地團員に頒布する、甲種としてやゝ高尚なるもの一萬冊、乙として一般的なもの參萬冊を印刷頒布した。
 3 花祭。
 4 秋夕會。これは舊八月十五日京城郊外に於て鮮人の祖先の精霊を弔ふ爲に多數の僧侶を招き読經廻向するのである。數萬人の鮮人が群集して念佛するといふ。
(5)機關雑誌の發行(「朝鮮佛敎」を發行す) 經費六千圓
(6)布敎學生派遣 内地留學生である。現に各宗大學専門學校に委嘱しつゝある。
 經費七千八百圓 
(7)社會事業 施藥 經費一千圓
(8)内地佛敎見學團 經費六百圓
(9)支部設置 内地及鮮内 經費二千六百六十圓
以上が朝鮮佛敎團の大正十五年度の事業及經費の概況である。現在朝鮮に於ける最も規模の大きいそして鮮人を対象とする宗敎運動たるは云迄もない。
社會事業の不振活躍する修養團
次に各宗の各々の手によつて或は聯合してなされつゝある鮮人のみを対象とする社會事業も注目すべきものがある、就中大谷派の向上會館、同朋敎會は純然たる鮮人敎化として有力なものであるが同朋敎會は昨年來本山からの補助を失ひ折角のものが全く瀕死の状態である。向上會館は現在青森徳英氏が全力を傾注し總督府及有力者の後援をうけて授産、敎育方面に益々成果をあげつゝある。
更に各宗聯合の行路病者収容所、浄土宗の隣保事業、咸北羅南に於ける各宗聯合の幼稚園及日曜學校等鮮人を対象とする社會事業としてみるべきものである。
然しながらこれらは外國宣敎師に依つて經営せられつゝある敎育事業、救貧、隣保、施療等の堂々たるに比較すべきもない。蓋し佛敎各宗の財政上止むを得ぬとは云へなさけないことである。
更に有力な私設の浄化團體として東京に本部を有する蓮沼門參氏の修養團が朝鮮の官民の間に多數の會員と各地に支部を擁して個人の修養と向上を促してゐる(中略)
開敎參百餘年歴史ある大谷派
以上二回に亘つて宗敎及宗敎類似團體について一瞥した。其の最後に我大谷派について一言読者の注意を促したいと思ふ。(中略)
一時停頓して明治初年再び開敎使が入鮮した頃から明治參十年頃迄は大谷派としては全く建設時代とも云ふべく、殊にこの間に於ける奥村圓心、五百子両兄妹が、光州の草分けとして今尚在住内地人の尊敬する處であるなど實に多とすべき点である。私は光州神社の麓に建設された奥村五百子女史の銅像に敬慕を表しつゝ今昔の感に堪えなかつた。開敎はむしろ國家的な事業である。但し懴ゆるが如き信仰に基づく宗敎行爲であるから偏することは自からよい筈であるが、國家的立場に立つて之を見る時前回に述べた如くいづれの宗派に対しても開敎といふことには國家的援助があつて然るべきであるが、この援助を公正にうけることの出來ないのは悲しむべく反省すべきことでないであらうか。
海外開敎について現在尚有機的統一のないといふことは海外開敎をして一層不振ならしむる原因である。近く京城に於て開敎五十年記念が盛大に行はるゝといふ(筆者曰く五十年に非ず、參百年記念を行へ)誠に結構なことてあるが、たとへ一つであつてもこの記念として永續すべき永久的事業が残されむことを望む次第である。

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