植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「支那朝鮮に対する佛敎家」
作者
樋口生
雑誌名
『京都新誌』
号数等
年月日
1895年1月17・19・21・23・25日
本文
若し物質的の文明のみを以て文明と謂ふことを得べくんば、英國は完全なる文明國なり米國又た開化の國なり、然れども精神的文明乃ち其の國民の節義心愛國心に至りては、我大日本は彼等が兄たり師たるなり、吾輩は朝鮮物質的文明の英米の如くなるは尤も願ふ所なるも、其の精神的文明の彼が如くあらんは大に嫌ふ所なり、而して我國か精神的文明に於て彼等が兄たり師たる位置に至りし所以は抑も何の原因する所ろ乎、吾輩は佛敎の此の精神的文明を涵養せし結果と斷言するに憚らざるなり、佛敎の精神的文明に於ける關係斯くの如く深し、我國の高義に依りて助けられつゝあるの朝鮮、豈に佛者の彼に対して盡す所なくして可ならんや、豈に日本的文明を注入せずして可ならんや
吾輩は縷々論せり朝鮮布敎の第一は實に財源也と、(中略)今試に明治廿五年の調査に係る各宗派の寺院僧侶を擧ぐれば、十二宗の寺院は總計實に七萬二千人なるに真宗の寺院のみは二萬なり、乃ち真宗の寺院は各宗合計の寺院數の參分の一弱にして其の僧侶數の總數は各宗十萬七千人なるに真宗の僧侶數は其の二分一弱乃ち四萬一千餘なり、然らば之を奉する信徒の數亦た推して知る可きなり、真宗は斯くの如く多くの寺院と多くの僧侶多くの信徒を有せり、其布敎に要する財源に付ては之を他宗に比して容易なるべきことは火を見るより明なり、況んや又た其敎旨たる王法を以て本と爲し真諦を説くと同時に俗諦を敎ゆるに於てをや、吾輩は何れの点よりするも朝鮮開敎の主任者は真宗敎徒の双肩にること斷言するに憚らざるなり
已に朝鮮の開敎に着手する場合とならば、少くとも十萬餘の費用を要するなるべし、少數の僧侶少數の信徒にては到底行ひ能ふ可く(各宗合一の却て不利なることは吾輩が各宗合一論に於て已に是を述べたり)各宗合一是れ各宗個々に運動する資素なきを表白する所以なり、噫朝鮮開敎は實に真宗敎徒の双肩を掛れり、
今更ら事新らしく言ふまでもなし、我大日本は東洋の平和を維持するが爲めにして朝鮮の独立を助けたり、朝鮮の独立を助くるが爲めにして征清の師を興せり、征清の師是れ彼が無禮を懲らすが爲にして興れりと雖ども、撃て而して彼が無禮に酬ゆるのみが我本來の目的にあらず、東洋平和の擔保者たる大日本帝國は打撃的に彼に懲すと同時に、誘發的に彼が頑迷を導き東洋局面の対欧策を講するの任務あるなり、乃ち我帝國の講究する朝鮮問題は是れ対清問題なり、而して支那問題は是れ対欧問題なり、(中略)茲に於て吾輩は前段已に述へし如く支那開敎の主任者も亦た真宗敎徒諸氏に望まさるを得ざるなり
已に述べし如く國家的問題として支那問題は朝鮮問題よりは一層重大なり、(中略)之に要する費用の点に就ては朝鮮開敎に要する費用よりは五倍十倍の額を要せざる可らず、是を以て支刹開敎は功を収むる或は多かる可きも功を収むるに至るまでの準備は非常に困難なるものあり吾輩が支那開敎を以て真宗敎徒諸氏に望むは之の困難に打ち勝ちて第一着に開敎を爲し得べき者は真宗敎徒の外に見出し能はざるを以てなり、