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植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「政府の朝鮮開敎に対する措置を論ず」
作者
雑誌名
『中外日報』
号数等
年月日
1910年9月27日
本文
抑も我が政府が佛敎の朝鮮開敎に対する態度由來頗る曖昧にして時には利用せんとするものゝ如く時には継子扱厄介者扱にするが如く其の真意何づれに在るかを捕捉し難く、之に反して基督敎に対しては強國と称せらるゝ基督敎國に憚かる所ありてか見え透くばかりの愛嬌を振り蒔くの感なきにあらず、日清戦争に際し我邦は基督敎徒を情れなくせず同情し居る旨を態々諸外國に説き廻り基督敎國の感触を害せざるを転た怖れしが如き、又伊藤公が統監たりし時外國基督敎の運動に一萬圓を寄附せしが如き、如何に基督敎の諸外國に遠慮し機嫌氣○を取るに汲々たるかを想像するに足れり、固より外國的辞令としては或は如此き事も必要なるべければ佛敎徒は決して囲繞悋氣を爲すにも當らざるべし、併し外交的辞令其の度を過ぎ宗敎に対する○○を外交の犠牲に供せらるゝは宗敎としては迷惑千萬なり、
我が政府者は内ち佛敎の爲めに注意も與えず又た便宜も圖らず謂はゞ黙殺に附し、意氣地なき各宗は亦た政府の○○を害せんことを怖れて敢へて迫らんとせず、過分の努力と資本を朝鮮に注ぎながら其の果實を収むる能はず、自然政府と各宗の間乖離に赴きつゝあるの感なしとぜず
此意味に於て吾人は佛敎の朝鮮布敎に対する方針を確立明示せんことを政府に望まざるべからず
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