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記事題目

「敎友雑誌=中傷で中傷」

作者

雑誌名

『日宗新報』

号数等

574

年月日

1895年8月18日

本文

敎友は第貳百參拾六號の雑報に於て佐野前励師に対する左の如きゴマすり雑報を掲げたり
○佐野前励師に対する中傷説 曩に東京の萬朝報紙上何者か佐野氏の氣焔と名誉を嫉妬し遂に毀傷説を出して曰く同氏が朝鮮國王に献じたる香炉は滅金なるを純金と詐り又た九州博多にて日蓮上人の銅像建設費として募金せしことありしも今は立消となる云々との中傷談出でたるも敎友子は真の中傷説として歯牙に掛ざりし其後如何なる加減か宗務院の機關日宗新報に佐野氏の渡韓は管長の代理にあらぬと報じたるも敎友子また度外に置きしかはや業に數通の弁駁書堆積せり然れども紙面の都合にて一々掲げ難し依て其一を左に適載すへし云々
左に掲載すへしとて掲載したるものは甚だ好し然れども前に中傷と云ひ「如何なる加減か宗務院の機關日宗新報に・・・・・・云々敎友子また度外に置きしが・・・云々」斯かる意味ありげの文句を竝ふるは是れ敎友子が故意に我社を中傷せるか將た又た佐野師にゴマを摺らんとするの極遂に此言ありたるか當時の事情は如何に足下の如き山猿にもせよ又た七月の鎗にもせよ兎に角雑誌記者たる以上は知りつゝあらん否知りつゝあれはこそ前には云はずして今日佐野氏の復命書出でたるを見始めてゴマをすり得るにあらすや汝の切抜窃盗雑誌か紙面の都合などとは片腹痛し他の中傷を利用して我社を中傷するが如き卑劣心を止めよ汝山猿知るや否や佐野師を中傷したるものは極めて・・・・・本社は之を知らざるなり又知るとても之は汝に告ぐへき限りは汝の摺講義自由に任す然れども汝か廿六年中の雑誌を見よ如何なる筆鋒を以て佐野師を攻撃しつゝありしや世に無責任の奴ほど氣樂、ノン氣なる者あらずアゝ無責任にて想起すことあり汝は曾て他を中傷しなから事の發覺せんとするや大に恐怖して罪を死人に塗付けくれよと我社に泣て懇願せし事もありしよ這般の奴相手にするには足らねど夏の日長の眠氣ざましに一氣呵成的叱すること一番何と骨身にこたへたか(或人曰くチヤンへ流無責任無神經の蛆輩何ぞ骨なきものを蛸入道と云ふ蛸は撃つとても功なしとは果して然るか偖もへ

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