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記事題目

「日宗朝鮮護國寺 開敎司監部と分置 打續く紛擾禍に鑑み 宗務當局の方針決る」

作者

雑誌名

『中外日報』

号数等

年月日

1936年6月13日

本文

日蓮宗朝鮮の開敎司監たる京城護國寺の紛擾については既報の如く遂に事態の収拾不能となつて司監たる寺澤日晃氏の辞表拠出をなつたが、宗務當局では曾て西村慈○、北村大成氏等歴代の司監が何れもこの檀寺の紛争禍により身を引き今また寺澤氏が同様の轍を踏むに至つた事情を鑑みる時、今後のためには開敎司監と護國寺とを分離、別置するに如かずとの見解のもとになほその斷案は既報の如く來る廿參日京城着にて右紛擾解決のため赴く高佐總務主事の實情調査の結果に待つ處とするも、既にこの際に於ての分離斷行を決意してゐる、蓋しこの分離は護國寺檀信徒の希望する處でもあり、一方に於て同寺は道路開通によりてかねて移転改築を餘儀なくされてをり未だ移転地の確定こそ見てゐないが大體現在の護國寺跡地處分により經済的にも左程苦痛視されぬとあるから恐らく實現されるものと觀られる。

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