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記事題目

「日鮮佛敎提携反対 鮮人學生の運動」

作者

雑誌名

『中外日報』

号数等

年月日

1920年6月26日

本文

去月下旬 朝鮮慶南道海印寺李晦光氏は朝鮮佛敎と臨済宗妙心寺派との合併具申のため上京内務省宗敎局に向つて運動するところありたり、妙心寺派布敎師にして久しく朝鮮に在住し同地佛敎界の一元老たる後藤瑞岩氏と相呼応して妙心寺派當局を動かし、これが氣勢を擧げんと努め或る種のプロパガンダに依つて關係諸方面の進捗を圖りつゝありしが、過般
京城なる 參十本山聯合法務所より東京なる朝鮮佛敎青年會に宛て此の旨通知し來りたるに端を發し、素々同問題に対して快からず思ひ居たる同學生及び一部鮮人は遽に反対運動に着手し去二十日豊山大學に於て反対結束大會を開催して斷然反対することを決議して散會、今後も極力反対運動を継續する由なるが聞くところに依れば前記李晦光氏は朝鮮併合以前より日本佛敎と合同の意あり、嘗つて
此の種の 運動を起して失敗し著しく鮮人敎界の感情を害しゐたものにて這回も運動は極めて秘密の間に行ひたるものなるが如く後藤氏に対する亦感情宜からず旁々一層の反感を持たれ居るものか。因に内地留學の鮮人佛敎學生は約五十名あり内二十名は京都に居り過日本紙に報導されたる妙心寺派と
朝鮮寺院 との聯絡云々の消息も多分は李晦光一派の爲めにするプロパガンダなるべしととて激昂し居れるもの多し。

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