植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「朝鮮に住み、朝鮮の米を食む 私の感謝生活・・・朝鮮佛敎團が財團法人となれる悦び」
作者
朝鮮佛敎團設立者小林源六
雑誌名
『朝鮮佛敎』
号数等
14
年月日
1925年6月
本文
私は大分以前から佛敎を信じて居るものでありまして、朝鮮へは明治參十七年に渡つて來たのでありますが、此方に參りましてからは、皆さんのお蔭で店も段々繁昌して參りました。店の業が繁昌して來るに就いては、私は矢張朝鮮の土地を借り、朝鮮の米を食つて日々暮して居るものでありますから、何とかして朝鮮の方々に報恩しなければならぬという念は、始終頭を離れなかつたのであります。
其の後朝鮮の併合が行はれまして以來、朝鮮の人々の思想に動揺の傾きがあつて、これを私が佛敎の上から窺つたところに依つて考えますと、朝鮮の人には宗敎の信仰が無いので、誤られた結果、斯ういふ動揺が起ると私は考へましたので、何とかして、佛敎の力を以て救うてあげることは出來ないものかと考へて居りましたところへ、大正九年の秋、元山から今の佛敎大會の常任理事元錫氏が來られまして、京城に佛敎大會を起し、佛敎を以て鮮人を指導したいといふお話がありまして、それは平素私の考へて居つたことであるから、一緒に行らうといふことになりまして、佛敎大會を始めかけたのであります。
私は今尚ほさう思つて居りますが、朝鮮の併合といふことは、私共佛敎の上から窮ひますと。
明治天皇陛下は、絶對の愛を有つて居られる佛陀……私共の信仰の上からは、阿彌陀如來であらせられると思ひます。其の大御心で、社會の文化の遅れたる、そして又周圍の悪魔の手から色々に迷はされて居る朝鮮の人々を併合して、同じ我が日本の國民のやうな幸福なものにしてやりたいといふ慈悲の大御心から出て居る信念であります。それは朝鮮では動もすれば何だか、爲めにしやうとして併合せられたといふ風に、曲解して居る人がまヽあるやうでありますから、佛敎の眞理から、其の邊を解つて貰ひたいと思ひまして、佛敎大會を起した譯であります。
幸にして、この精神に共鳴して下さつた多くの方々の御援助に依りまして、斯くも大きな團體に成つたのであります。私の眼からは、御援助下つて居るお方々は、私の初一念を貫く爲めに、諸佛、諸菩薩方が手傳うて下さるやうに感じまして、深く其の方々にも感謝をして居る次第であります。
それのみならず、今度財團法人を組織するに就きましても、東京の有力者は勿論在鮮の皆さまが御心配下されまして、お力をお添へ下さいましたお陰で、永遠にこの事業が續けて行かれるやうに、財團法人を組織させて貰ひ、これが認可になりましたことは、全くこれは御佛の御加護に他ならぬと、深く感謝して居る次第であります。(終り)