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植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「朝鮮に雄飛する真言宗 高野派の豫算計上」
作者
雑誌名
『中外日報』
号数等
年月日
1920年12月1日
本文
近く高野派部會開會につき山階派管長の朝鮮敎化に付其後の模様を聞に和田氏は聯合各派の管長中一番の少壮者なるも怯弱の質にてその任に非ざるべきが折角の高野派の企畫を頓挫せしむることを虞れ快諾したる由にて厳選の要あるは事務主任なりとし久しく之が詮考中なるが未だ決せざる由、されど今次部會には右朝鮮敎化費の計上を爲し愈々以て具體化する模様なり、
和田大圓氏は曰く、未だいつ行くとも決して居ないが大概の事は今度の部會で決るだらうと思つてゐる、一年の參四分の一駐在の豫定でゐる、朝鮮敎化は日本の重大問題で渡鮮内地人の訓練と両々相俟て敎化の實を擧げねばならぬ、佛耶両敎その一方に偏してゐる傾向があるのはよくない事である、邦人中にも鮮語をよくする者が大分に出來て來た様だから、今後の鮮人敎化は内地で想像するほどのことはあるまい、管長級の駐在は餘程上下から渇望されてゐる様だから元氣を鼓して行かねばならぬとて胃腸病と脚氣のため約二ヶ月藥餌に親しみ居たる氏は心持ち元氣を見せ居れり。
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