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記事題目

「朝鮮の宗敎概觀」

作者

文學博士井上圓了談

雑誌名

『中外日報』

号数等

年月日

1907年1月1日

本文

△けれども寺には皆相當の財産があつて衣食には何の差支もない、私が行きました牡丹台の永光寺といふ寺の如き周囲五里四方の山を所有して居るといふ勢であつた。
△其寺は日本僧侶の旭氏が居ましたからとうして居るかと尋ねた處、名義は一室を借りて居るのだが、其實全權は旭氏が掌握して、實の住職は、虚名を擁して居るのださうで、其旭氏が中々野心を抱いて居て、平壌から二參里の處に立派な寺がある、其寺院を占領せんとの計畫ださうだ。
△此の占領といふ事は尤もよい事と思ふ何故といふ到底朝鮮僧では仕方がありませんから、卑下を受けない非○の兒でない堂々たる日本僧が占領すれば大に朝鮮の宗敎を挽回する事が出來様と思ふ。
△然らば朝鮮の寺院なるものは何の用に供するかといふと、葬式にも法律にも用ゐない、葬式などは親類のものが集つてやるので、僧侶は何の關係がない、唯茫然として舊式の禮拝位をやつて其の日を暮して居る。
△併し只一つ人民が寺に頼み來る事がある、何にを頼みに來るかといふと、官吏になりたいから祈祷してくれといふので、朝鮮は官尊民卑であるから、官吏になる事を非常に希望して居るので、其の結果は祈祷を頼みに來るのだが、其の愚さ加減は御話しにならぬ。

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