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記事題目

「朝鮮の布敎制限」

作者

雑誌名

『中外日報』

号数等

年月日

1911年1月17日

本文

頃日聞く所に依れば總督府は近日中に宗敎宣布の規則を發布し、各宗派より敎義及び布敎方法等を申告せしめ、之を詮考したる上其一部の布敎を禁止すべしと伝ふ、早く總督が干渉は宗敎の上に落ち來れり、抑々敎義を詮考して之に許否を命ずるといふ如き驚く可き大胆の沙汰にあらずや、宗敎の敎義が奚んぞ此種の學識も素養もなき俗官の目に判斷せらるべけんや。
苟くも宗敎たる以上、縦令それが低級の智識を基礎とし、低級の信仰を鼓吹するものたりとも、濫りに國家の治政に累を及ぼし、新附の國民に悪化を布くが如きことは決してなかるべく、此の如き低級の宗敎にても之を善用○用せば、寧ろ總督府が開發の方針に間接の利益を與ふべし
内地の佛敎家が此際奮て朝鮮布敎に當らんとせるは、彼等が佛敎家としての立場より見て至當たると共に、總督府としても朝鮮人民の開發誘導の上に少か・・・・(以下、複写欠)

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