
植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「朝鮮の現状及び將來 基敎徒の勢力は總督府以上」
作者
雑誌名
『中外日報』
号数等
年月日
1920年3月24日
本文
東本願寺の朝鮮布敎監督溪内式恵氏は數年前赴任以來専心開敎に努力され居るが今回鮮人敎化根本計畫を立て今回本山及び内地人の後援を仰ぐべく打合せのため歸朝されたり、氏は朝鮮現状及び將來につき今は区々たる宗派的争ひに没頭して居る時でない朝鮮を如何にすべきかと云ふ問題であるとて語る。
米國が鮮人 の背後に立つて魔手を振つて居るとは信じられないが、近時米國民の頭に働きつゝある思想が宣敎師をの總てを支配して居る、牧師が鮮人に対する勢力は丁度參四十年前の北陸方面の信徒が本願寺に於ける如きものである、而も基敎が鮮人敎化の方法は非常に柢根が深く真に彼等を心服せしめて居る、平安道宜川の如き僅か九千の人口で
學校に病院 に牧場等あらゆる社會的文化設備が施され、學校、病院等の建築は官設のそれを凌ぎ鮮人の肝を奪つて居る、事大思想に富む鮮人が、日本の官営にして米國の一敎會の事業に及ばざることを見て米國を崇拝することは謂れなきに非ずだが、更らに米人牧師等は鮮人が日本に対する反感を巧みに徴發して敎義宣伝の用に供し又鮮人を信服せしむる手段として居る、それで鮮人が日本人を軽侮して居ることは豫想意外で數日前朝鮮への横斷飛行の際なども「日本人にそんな放れ業どうして出來よう
夫れ日本 の飛行機に米人か伊國人が乗るて居るんだ」とて事實としなかつた位である、米宣敎師の排日手段は茲まで成功して來て居る、現在總督府直営の學校は全児童の十分の二乃至參位より収容されず、その他は基敎經営の學校に収容され、知らずへの間に彼等の思想を吹き込まれるのである、基敎徒は斯くして養成した鮮人中の秀才をどしどし抜擢して牧師や敎師として使用するので敎義宣伝の上にも非常の便を得、又彼等が成功して居る所以である、右の如き次第であるから總督府が
私営の事業 にでも後援して居るとなれば鮮人はてんで寄り付かない、こうした反感のある時に於て總督府の學校に於ける敎育方法はあくまで國家主義の立場から吾が敎育勅語を真正面からつぎ込もうとして居るが之等も米人が鮮人の反感を煽る材料となつて居る、總督府としても右の次第で佛敎徒として土着語も解せず又鮮人敎化としての文化施設もない爲鮮人には殆ど手が及ばず此状態で進めば朝鮮の將來は果してどうなるであらう、私は杞憂に堪えず今回文化事業を起し
鮮人の根本 敎化をなす計畫を立て既に總督府より敷地の払下を受けたので今度資金募集等に就て本山や一般有志に依頼すべく歸朝したのです云々」