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記事題目

「朝鮮佛敎の衰頽に就て日本佛敎家の奮起を望む」

作者

加藤文敎

雑誌名

『明敎新誌』

号数等

年月日

1894年9月14日


本文

餘や朝鮮に航し各港に駐在布敎すること數年敎務の餘暇内地に入りて佛敎上の状態を觀察するに耳目に触るゝもの一として遺憾ならざるはなく古佛敎國の名を存するも救ふべからざる頽廃に及び僧は護持大法の志操なく國民は乞食の如く視せり而して天主敎等の進入日に著しく種々なる外形の手段を以て勧化するより其の敎勢鶏林八道に亘り此勢ひを以て數十年を經過せば東洋古佛敎國なる朝鮮邪敎國と変化し來るや必然ならん此に於てか真宗大谷派は率先して開敎の針路を開かんとせしも独り殖民布敎に止りて外人布敎の目的を達すること能はず我宗次て起り今や内地に觀察すること八回百方開敎の策を講するも資金充分ならざると國風佛敎を擯斥するとの困難なるより外敎徒と竝立して開拓の實功を奏すること能はざるなり
我日本帝國は宣戦の詔勅に明示せらるゝ如く善隣國皇の信義を以て朝鮮に勧むるに其の批政を釐革し内は治安の基を堅くし外は独立國の權義を全くせしむることを以てせり韓庭之を肯諾し内政の改革に着するや我佛敎再興の端緒を與ええられたるもの
一内務衛門の國内の岳読寺刹神祠を掌る寺祠局を設置せしこと
二僧侶入城の禁を解かれたること
此機に乗じて東洋佛敎の中心たる日本佛敎徒が勇進奮激し縁深き僅に一葦帶水の間にある韓國佛敎徒の爲めに一大英斷を施し中興の大業を擧ると日本佛敎徒の佛院に急務して知恩報恩の本分を盡す一大義務なりと斷言するに憚らざるなり而して再興するの方針は種々なりと雖も巨大なる資金を要せず其目的を達するものは
一佛敎學校を設置し韓僧敎育を爲す事
二朝鮮各港に殖民布敎を盛にし有爲の僧を留學せしむること
何を以てか韓僧を敎育するや日本佛敎徒か韓國佛敎の再興を謀るも數多なる日本僧侶の此地に渡りて直接に韓人を化益するや困難なるを以て在來此國にある寺院と僧侶を利用するもの尤良策なり韓僧を利用するに付ては腐敗的の僧侶なれば敎育を施さゞる可らざるなり(中略)二殖民布敎の必要は現今此國に移住するもの壱萬餘の多きに達しつゝあれば朝夕門法に縁遠き千里異邦にありて空敷故郷の懐念を泛るのみの愍むべき群生の爲に布敎するは僧侶の本分とし國民のぎむとし盡す可き事業にして目下の形成よりする時は殖民は增加せざる可らざる次第なれば布敎の必要なるは蝶々を要せざるなり

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