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記事題目

「朝鮮佛敎大會私言」

作者

河村道器

雑誌名

『中外日報』

号数等

年月日

1929年11月5日

本文

朝鮮佛敎大會は終わつた。内地佛敎支那独逸の佛徒の一堂に會するが如きは、誠に朝鮮佛敎史上、未曾有の事實であつて、實に半島佛敎史上特筆に値する盛儀であつた。然し、此處に問題と爲るのは大會は果して大會が爲さんとし、或は爲す可き事を爲したであらうかといふ事である。「内鮮佛敎徒ノ交情親睦ヲ厚クシ朝鮮ニ佛敎普及ヲ促進スル爲相提携シテ協力進歩ノ道ヲ圖リ以テ半島文化ノ發達ニ資シ民衆ノ福祉增進ニ貢献スルヲ目的ト」した朝鮮佛敎大會は何して何を爲したであらうか。
大會の中軸を爲した所謂の大會は第一日の午後行はれた。此の大會議場に於ける大會役員の独斷専行に關して我等は頗る遺憾に堪へないのである。且、又「朝鮮佛敎總書刊行」に就いての吾人の提案に対する役員諸氏の態度こそ不親切極まる者であつた事は當時會場に在つた人の等しく認められる所であると共に事、自己を中心とする問題であるから今日に於て謂ふことを遠慮するけれども、是亦、遺憾とするものである。
大會が大會として、大會らしく行動したのは單に「吾人佛敎徒ハ一層ノ親睦ヲ以テ朝鮮ニ於ケル佛敎ノ普及興隆ニ努メ以テ精神文化ノ發揚ニ貢献センコトヲ期ス」と云ふ決議を討論等を用ゆる事無くして爲したに止まると云ふも過言ではあるまい。独り唯、決議をのみである。蓋し此の決議文の示す處の如きは朝鮮精神界現下の状態に於いて緊急不可欠のものである。然らば此等の要求は、如何にして、如何にせば充たされるかゞ當面の第一次的な問題であらねばならないのである。吾人の大會に期待したのは實にその實行に在つた。内鮮「佛敎徒ハ一層ノ親睦」を如何にして計るべきか「精神文化ノ發揚ニ貢献」すべき方法如何。「朝鮮ニ於ケル佛敎ノ普及及興隆」は如何なる方策に依つて爲さる可きか。將來の方法にして不適當なりとせばその最善最良なる方針は如何。此等の問題こそ當日、議論上下さる可き事實である可きに、その事無くして、唯だ單なる決議を爲したるに止る如きは大會が大會としての意義と目的とをそれ自身に於いて忘却した者と吾人は思考する。かく云へば説を爲す者があらう。「大會は内鮮佛敎徒の親睦を計る事を自體の目的とし、且つ方策を議するが如き時間を有しなかつた」と。然し之は一片の遁詞に過ぎないのである。單に親睦を策するのみがもくてきならば方法は又、他に幾らでもある大會と云ふ如き形式を採らぬ方がよりよく効果的であるし、時間が無いと云ふのは、計畫それ自らの破産である。
朝鮮現下の精神界、限局すれば佛敎界の状態は過日の本紙上に椎尾氏が指摘された如く「堅實なる基礎と反省と努力とを度外視しては漠然たる大言も壮語も大會も徒勞に歸するもの」である事を吾人は痛感する。と同時に朝鮮佛敎大會に相會した諸氏が、この際同氏のこの言を○読さてんことを切望に堪へないのである。
這回の朝鮮佛敎大會自身としては失敗に近いと考へる。然○の大會が將來した者は實に朝鮮佛敎界に取つては畫期的な収穫であつた。特に朝鮮僧界に於いては當に闇夜より皓日の下に出でたるかの感ある大盛儀式であつて、彼等の爲に誠に時宜を得た者であると思ふ。此の点、絶大なる敬意を主催團體各位に致さざるを得ないのである。それと共に、二回參回の朝鮮佛敎大會の開始を近き將來に期待し、朝鮮に於ける最善最良の敎化の方策が、議論せられ實施せらる日の有る事を、佛敎徒の名誉の爲に祈願して止まない者である。(四・十・一〇)

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