植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「朝鮮佛敎學生敎養難 他の留學生から圧迫で」
作者
雑誌名
『中外日報』
号数等
年月日
1921年4月29日
本文
朝鮮から 内地へ留學すべく東京へ來て居る佛敎關係の學生の敎養難につき、數年間斡旋して居つた某佛敎家は語る、ある因縁から將來朝鮮の佛敎界に働かん志望の學生を自宅から宗門の中學へ入學せしめて置いたが、内地にも馴れ真面目に勉學して居つたが、独立騒ぎのあつて以來、勉強の尻が落付かぬようになつた。
段々事情 を調べて見ると當人は内地で佛敎を中心として學問を修め歸鮮の後佛敎の爲に働く志望であるけれども在留學生の仲間から内地の佛敎家の世話になつて勉強するやうな者は將來朝鮮へ歸つても交際せぬとか、或は母國の現状は独立するか独立し得ぬかの瀬戸際に立つて居るのに、呑ン氣に
佛敎抔を 學んで居る場合ではなからうと云ふ風な圧迫を受けるので、在留學生の間に於て孤立の状態になる、孤立は尚ほ忍び得るも將來朝鮮へ歸つて身を立て活動しやうと思っつて居る者に対して多數の在留學生と行動を共にしない者は將來如何なることがあつて朝鮮へ歸つて後交際しないと云ふ圧迫が苦痛に感じ、
折角内地 で勉強しなくても朝鮮へ歸つて活動が出來なくては仕様がないと前途悲觀し、最初の志望を達しないで途中で退學して仕舞ふは如何にも残念なことである、そして朝鮮の後援の下に勉強せんとする者をば一部の間には妙な色眼鏡をかけて政府と聯絡でもとつて彼等學生を
親日派に 懐柔する手段に使はるゝが如く誤解して居るらしい、又内地の佛敎徒に接近する朝鮮學生に於tゝえも側の色眼鏡や誤解があつても其歴な事に願慮しないで驀直に信ずる所に進むと云ふ志操に於て堅實を欠く爲めに心で思つて居る通りに行動することが出來ないで、周囲の圧迫や排斥の爲めにフラへ
動揺する と云ふ有様である、實に困つたことである、恁んな有様では内地の佛敎家が真面目に衷心から朝鮮の學生に同情し彼等の勉學に対して便宜を圖らうと思つても如何んともすることが出來ぬ云々と述懐して居る。