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記事題目

「朝鮮佛敎青年總同盟 いよへ創立大會」

作者

雑誌名

『中外日報』

号数等

年月日

1931年3月20日

本文

朝鮮佛敎青年の運動は昨夏布哇の汎太平洋佛青大會に代表都鎮鎬氏を送りその歸任後總同盟の結成準備が進められたたが、京城の朝鮮佛青及同女子佛青で東京の在日朝鮮佛青、普州、江景、松廣寺、梵魚寺、孤雲寺、華山乾鳳本末、金剛、白羊寺、玉泉寺、海印寺、金泉、通度寺、大興寺、銀海寺の諸佛青の十八團體が發起して全鮮に檄を飛ばし朝鮮佛敎青年大會の召集を各團體は代表者に信任状を發して參加せしむる事となり、來る二十二日京城佛敎青年會館に於て大會を開催することゝなつた。第一日は青年大會とし歸依參宝を同唱して開會、趣旨説明の後人員点検をなし臨時執行部を組織して議長副議長書記司察を決定し總同盟組織の議事を行ひ、第二日は朝鮮佛敎青年總同盟發起大會として盟憲制定と創立大會準備の議事を行ひ、第參日いよいよ朝鮮佛敎青年總同盟の創立大會に入り會員資格の審査をなし總同盟役員選擧の後各種議案の討議及豫算案を議定する。議案の範囲は盟員養成に關する諸問題、宗敎に關する諸問題、敎育に關する諸問題、敎化に關する諸問題、經済に關する諸問題、綱紀粛正に關する諸問題である
大會に際し特別に記念として行ふ事は記念撮影、招待會、記念講演、秘苑、新聞社、盲唖院、佛専、普高、城大、孤児院等の視察等である
朝鮮佛敎徒の奮起
○布哇の汎太平洋佛青會議に際して朝鮮から二名の代表者が出席した。一人は朝鮮人佛敎徒を代表しての都鎮鎬君一人は槙藤哲藏君であつた。都君は朝鮮プロパーの佛敎の代表として日本代表と別立する決心を示しその通りに行動した爲め、會議の最後まで槙藤君が納まらなかつた經緯があつた。
○朝鮮佛敎總同盟が愈々結成することになつて都君の奮起が朝鮮プロパーの佛敎及佛敎徒を青年運動を起すことになつた訳である。朝鮮に於ける日本佛敎(或は内地佛敎)と朝鮮プロパーの佛敎とは同じ佛敎徒であり乍ら融和してゐない内情が窺はれる。その原因が孰れにあるかは頗る複雑な事情があるだらうから早まつた批評はできない。だが新な風光を開拓すべき佛青運動の立場から双方の反省と寛容とを要求することになるであらう。(水)

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