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記事題目

「朝鮮僧妙心寺派に旅費を講ふて歸國す」

作者

雑誌名

『日宗新報』

号数等

579

年月日

1895年11月18日

本文

朝鮮僧月輪再明、佐野師に伴はれて吾國に來り、八区檀林に留學し居りしか、何故にや同林を辞し西京を徘徊し遂に其國に歸る、彼れ旭僧正に一片の葉書を寄せたり其意に曰く
檀林を出て西京の各本山を歴訪せしも一泊の宿りも許されず遂に妙心寺派に到りて路費を請へりと
旭僧正これを聞き嚮に慷慨なる一書を投せらる、吾人は其事情を審にせさるを以て暫く之を記さゞりしが、近刊の能仁新報を見るに、明に彼か妙心寺に至りたる存意を知れり。彼れ妙心寺派管長に願書を出して曰く、
欲究日蓮宗宗旨故、數日間滞留(八区檀林を云ふ)中、大凡究其宗旨、則不合小僧之本懐、故捨彼宗、(中略)欲依貴宗(妙心寺派を云ふ)振興朝鮮佛敎、云云、
然るに同派にては彼の僅に無常転変の小乗禅を解するの小機にして、然も數日滞在の時間を以て、日本済門の端的を得んことは到底なし能はざる所なるを以て、管長代理より特別に伝法戒を授け、旅費を支給して歸らしめたりと。彼再明果して如何の僧ぞ、其本宗を學ふ亦た何の意ぞ、而して妙心寺派に至り布敎師派遣、朝鮮僧侶敎育周旋、など誇大の言を述べ、同派を以て鶏林佛敎を振興せんと称す、何等の囈語そや。彼れ何の見る所ありて本宗を捨ると曰ふや、彼の小機未た済門の意を了せすして、猥りに済門を以て朝鮮佛敎を振起せんと叫ふ、旅費要求の口實としては誠に過大の言なりと曰ふ可し。然れども彼れをして此口實を作らしめ此の行爲あるに至らしめたるは、果して誰の罪そや。

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