top of page
植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「朝鮮寺院と妙心派」
作者
雑誌名
『中外日報』
号数等
年月日
1920年7月2日
本文
朝鮮參十本山前委員長李晦光氏が去日入洛妙心寺派本所を訪ひたるは將來提携の爲めに本所をして朝鮮佛敎を諒解せしめんが爲めなりと伝へられたるが、李氏一行は決して諒解を求めんが爲めには非ずして朝鮮佛敎を發展せむる準備行爲として内地佛敎視察の爲め入洛せるものなりと主張し妙心寺派との交渉を打消さんとしつゝあり。妙心寺當局の談に「去日李晦光氏の東上は政府に朝鮮佛敎僧侶の立場を諒解せしめ將來の保護を要請する爲めであつたと聞いて居るが、妙心寺を訪ふたのは朝鮮學生が宗立學校に留學して居るので挨拶に來たのみで別に深い意味はなかつた、然し朝鮮寺院と妙心寺派は深い關係を以て居る、其は朝鮮の名刹妙香山が既に破壊され様として居た時古川大航氏が之を援け數百町歩の土地を獲得せしめたので其れ以後は同山の監督者として必ず妙心寺から一名特招し現に神谷宗一氏が就任して居る。朝鮮學生の留學も之れが因縁をなして居るので深い關係はあるが將來の提携は問題で現在の關係は妙香山位である。鮮僧は常に朝鮮人の敎化は我々の事業であると主張して居る位だから独立してやられるのであらう」云々。
bottom of page